• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

青木 さやかさん(お笑いタレント)

お笑いの世界にはどうして

 別にそれがやりたくて入ったわけじゃないんだけど、仕事で共演するたびに芸人さんたちが「スゲェよ!」って言ってくれるんですよ。そんなテレビに出てるような芸人さんたちが言ってくれるんならそうなのかなァって。で、笑いが起きたら一旦黙って、また喋って、でまた笑い待ち……、よくわからないこともありつつも、売れさせていただきました。

売れて一番変わったのは

 私の場合、スゴくお金のない生活から一息にお金のある生活に変わって、その中間がなかったので、そこは難しかったですね。お金を持つようになってから、色々なものを買ったり、引っ越しもしたりしたけど、結論としてそんなに使い道ってないな、と思ったし、お金って怖いなって思いました。というのも私が売れた途端、「お金を貸してください」という人が一気に増えて。そして貸しても返してくれる人はあまりいなかったんです。で、そうなると、あんなに仲が良かったはずなのに、お金を介するとこんなにも気まずくなるんだなというのを痛感して。――お金は貸さない方がいいといのを学びました。それくらいならいっそお渡しする方がよいのかなと。

結婚、出産を経て変化は

 生活はガラリと変わりましたね。ちゃんと朝起きて3食作ったり……。ただ、自分が親になることで、凍り付いた母との関係が氷解するというのはなかったです。それでも『母』の中にも書いた友人の言葉、〈親孝行は道理だ〉というのに従って、母がホスピスに入ったのを機に、関係の修復には努めました。

氷解しなかった根本は

 何か嫌悪感がありましたね。親というものにもそうだし、教師だとか女だとかそういうもの全部に。だからどうやっても自然に溶けるものではなかったです。自分が親になってもやっぱりそれは変わらなくて、親になってはじめて分かることも増えたけど、だからといってすべてが変わるわけじゃない……。自分自身を見ても相変わらず危うさは抱えていますしね。

お子さんに望むことは

 娘がやりたいということはすべてやらせてあげたいと思っています。もちろん時には単なるワガママだったりもするけど、何かに興味を持ったりだとか、そういうのは大切だと思うので、出来る限り応援したいですね。私が小さい頃、ピアノや習字がやりたいと親にせがむと、全部やらせてくれたんですよ。結果として、それが今、自分の人生の楽しみにもなっているし、幅も持たせてくれている。そういう良かったところは見習っていこうと思います。

若者にメッセージを

 何一つ諦めないでもいいと思っています。私は20歳になったとき、自分はもう何かを諦めなきゃいけない、そう思ったんです。30になるとその選択肢はさらに狭まったと感じた……。でも終わってみると、48になった今の方が明らかに未来が広がっているんです。だから、なぜあのときそう思ったんだろうと思うし、若い人たちには、何も諦めないでいいと言いたいです。「諦めない」という選択肢を取った方が世界が広がるよって。その先が大丈夫かどうかまではちょっと分からないですけどね(笑い)。最初から諦めて自分の可能性を狭めないで欲しいと思います。

あおき さやか 1973年、愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティ番組でブレイク。2007年に結婚、2010年に出産。2012年に離婚。バラエティ番組やドラマ、舞台などで幅広く活躍している。

(月刊MORGEN archives2021)

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