『旅する練習』

乗代 雄介/著
講談社/刊
定価1,705円

歩く,書く,蹴る おじさんと行く旅

 私はサッカーをしない。にもかかわらず,この小説を読み始めるといつの間にか耳にリフティングの音が響いていてきた。そして最後の一ページで突如音は消えた。
 題名の「旅する練習」とは何だろう。読むうち「旅をするための練習」ではなく,「練習をするための旅」とわかる。では,何の練習? それは,主人公にとっては文を書く練習であり,姪にとってはサッカーの練習。
 2020年3月,コロナ禍で休校になり,中学一年生のサッカー少女は予定のない春休みとなる。亜美は,作家の叔父と,利根川沿いに千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地を徒歩でめざす旅に出る。重要なのはおじさんの存在だ,と思う。かつて高橋源一郎が,現代の教育には「おじさん」が大切だと語っていた。肉親ではなく少し立場の離れた「おじさん」の存在が人の成長,特に思春期に必要なのだと。寅さんのように一見フーテンなんだけれど,幸せとはなんぞやを独自の価値観でじんわりと教えてくれるひと。亜美も言う。「持つべきものはこだわりのないテキトーな叔父さんだ」と。
 作中には輝く言葉が点在する。「この旅のおかげでわかったの。本当に大切なことを見つけて,それに自分を合わせて生きるのって,すっごく楽しい」。これを読み,哲学者 池田晶子の「あなた自身になるということは,あなただけの大事な人生の宿題」という言葉を彷彿とした。生き方に不安を感じる高校生に薦めたい。最終ページに大ドンデン返しが。宙へ放られたボールを受け取るのは,あなた。

(評・田園調布学園中等部・高等部司書教諭 二井 依里奈)

(月刊MORGEN archives2021)

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