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菅谷 昭さん(医師、教育者)

 3・11福島原発事故の25年ほど前、旧ソビエト、チェルノブイリでやはり原発事故が起きた。被害は甚大で、一直線に空を貫いた禍々しい黒鉛炉の煙は今も語り草だ。放射能汚染に見舞われた東欧ベラルーシで事故後、その医療支援を長く続けるのが医師で、松本大学学長(2021年時点)の菅谷昭さんだ。

 現在ではチェルノブイリ・福島医療基金を立ち上げ、日本とロシアの医療橋渡しの一助を担うが、善行の原動力は一体何か――。信州に大師を訪ねた。

チェルノブイリで見たもの

 私が初めてチェルノブイリを訪れたのは、原発事故から5年後の1991年、地元、松本市のNGO団体のチェルノブイリ帰国報告をテレビで目にしたのがきっかけでした。広島、長崎の例から白血病が増えるものと考えたが、当てが外れた。まさか甲状腺の小児癌とは……、そう話すボランティアの言葉に、甲状腺ならまさに自分の分野じゃないか、と思わず腰を浮かせ、すぐに勤める大学から団体に電話で協力を申し出ました。ちょうど専門医を探していたところだった先方は手放しで喜び、私はすぐベラルーシ行きの機上の人となったわけです。

 現地では、子どもたちの検診を中心に5年にわたりましたが、その間も、みるみるうちに小児癌は増えていきました。癌の大半は甲状腺癌で、本来なら、外科医で、しかも内分泌系を専門にする自分の出番の所ですが、そこはやはり、むやみに現地のやり方に手出しするわけにはいきません。仕方なしに見守っていると、拙い医療技術に、十分な設備もない中で、子どもたちは大変苦しそうでした。

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