• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

中村 憲剛さん(元プロサッカー選手)

 昨冬、一人のサッカープレイヤーがフィールドを去った。中村憲剛さん(40)、言わずと知れた日本サッカー界のレジェンドの一人だ。そのフィールドを俯瞰するかのような冷静な視野と精密で大胆なプレイの数々は多くの人々の脳裏に焼き付いて消えないが、18年のサッカー人生に散りばめられたおびただしい活躍を生んだルーツは一体何かー。大器に十代を訊いた。

東京のご出身と聞きました

 3歳までを小平で、そこから今度は小金井に移って幼少期を過ごしました。小さい頃からボールを蹴るのが大好きで、でも通っていた小学校にはサッカークラブがなくて。で、母が探すと、府中にサッカークラブがあるというので、そこに入ることにしたんです。そうしたらそこがなかなかの強豪クラブで。そこからどんどんサッカーにのめり込んでいったという感じです。

サッカーを始めた経緯は

 これは僕は憶えていないんですが、小さい頃、両親は僕に色々な運動をやらせたらしいんです。ボールを投げたり、打ったり、蹴ったり……、中でも一番夢中になったのがボールを蹴ることで、それを見た母が、今で言う幼稚園のママ友たちと一緒になって、子どもたちにサッカーをやらせようと決めた。それが始まりで。

サッカーの第一印象は

 まだ国内でサッカーが盛り上がる前、1986年にサッカーを始めたんですが、最初はもう本当に単純にボールを蹴るのが面白いというだけでしたね。強いとか弱いとかは考えもしなかったです。無心でボールを蹴っていた幼稚園時代の延長線上とでも言うか、そんな感覚でしたね。

向上心の目覚めはいつ頃に?

 小学3年生になる頃ですね。一学年上の先輩の試合に呼んでもらったんです。今の小学生サッカーは8人制なんですけど、その頃はまだ11人制でした。それで、一学年上の先輩たちは12、13人しかいなかったんです。要は人数がギリギリなので、いつもそこに下の学年から3、4人が駆り出されていたんです。でも、その先輩たちが人数は少ないんだけど凄い強くて、東京でも一番になったりもした学年なんです。そこからですね、もっと上手くなりたいと思いだして。この強い先輩たちについていきたい、とそんな風にして上を目指しはじめた。

先輩の中には澤穂希さんがいて

 そうなんです。なにしろ2学年上なんで当時、そんなに話したりはなかったんだけど、プレーを目にすることは度々あって。凄い上手くて速い選手いるなァ……、と思って見ていたらそれが澤さんだった。まだ女子サッカーの裾野が広がる前で、チームに女子は一人きりだったのもあって、その頃は女子はみんなこんなに上手いのかと思っていました。蓋を開けたら、後に世界を取った澤さんが特別だったわけなんですけどね。

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