• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

中村 憲剛さん(元プロサッカー選手)

当時目標にしていた選手は

 ラモス瑠偉選手です。僕は細身の体型なんだけど、ラモスさんも細くて同じように猫背でガニ股で……。共通項が多いなって自分で勝手に思っていて(笑い)。試合では、中盤でたくさんボールを触ってフィールドを支配し、アシストで点を取らせるような選手だった。当時同僚だったカズさんもそうなんだけど、二人とも本当に大好きで。で、どちらかと言うとラモスさんのその点を取らせるというのが自分のプレイスタイルにも合っていると思って、凄く試合を見てました。

引退を決めた経緯は

 一回り以上上のカズさんが現役でやっているし、周囲にはまだ出来るとかなり止められましたよ。みんなしてカズさん指して、「目標はそこだろう」と言われて。でも、40でJ1でやるのだって相当大変なことだったし、今、53とかでやってるカズさんは本当に超人ですよ。ちょっと並大抵の情熱じゃ出来ないです。それにこの後の人生でやりたいことにチャレンジしようとしたときに、総合的に判断した結果、チームにとっても自分にとってもここで退くのが最善と引退を決めました。しっかりやり切って、スッキリした気持ちで引退できましたし、結果として、今の新生活の充実度を考えても正解だったと思います。そういう意味では、第2の人生をスタートさせるタイミングとしてはベストだったかもしれないですね。これが1年遅れたら、またちょっと違う人生になったと思うので……。だから悔いはまったくないです。

引退後の生活に大きな変化はありましたか

 それはもうガラッと変わりましたね。今までは、朝起きたらクラブハウスに行きトレーニングに出て、トレーニングが終わったら昼過ぎには帰って来て休んでいた。でも今は、そもそもそこがまるまる無いので。週に1回、指導するサッカースクールでは汗を流しますが、中学生が相手なので、現役時代のように鍛えなくても対応できてしまう。後はなにより現役のときはチームに管理されてたスケジュールを良い意味で自由に出来るようになりました。現役時代は、子どもの行事を見に行きたくても、その日試合と被れば行けないことが幾度となくあったので。今は先に子どもの行事の日時を埋めれちゃいますからね(笑い)。夕方から夜の仕事も、現役時代はコンディション管理の問題で仕事は出来ませんでしたが、今は普通にできちゃいますし。今は家族サービスも含めて大分フレキシブルに出来るようになりましたね。

第2の人生の現在の世界は?

 新たなスタートからまだほんの3カ月半ですが、本当にいろんな世界があると驚いています。凄く刺激になっているし、それを経験にしながら、この先自分がどんな選択をしても対応できるように勉強しなきゃいけないな、とも思っているんです。仕事で大事にしてるのは、一緒に仕事をした方に「今日は一緒にやれて楽しかったな」と思って帰ってもらうことです。誰でもいいわけではなく、僕に期待をしてオファーを出してくれていますし、僕もその期待に応えたい。この姿勢は現役のときから全く変わらないです。それに僕に求められているのは、僕がやってきたこと、経験してきたこと、培ってきたことを伝えることで、誰でも出来るわけじゃないはずで、そこに対する責任は感じています。

今後挑戦してみたいことはありますか

 川崎フロンターレで18年間お世話になって、本当に何でもない大学生だった僕をJリーグや日本サッカー界は育ててくれた。そのすべてに感謝をしています。そういう意味では、今いろんな選択肢が目の前に転がっていますが、何か一つに絞るのではなくて、自分の培ってきたものを色々なところで還元していきたいというのはあります。この先どんな職業に就くかはまだわかりませんが、とにかく今は、幅広く様々な活動をしながらサッカーの普及に貢献したいと日々を送っています。

サッカー指導者として大事にしていることは

 指導をし始めたばかりで言うのも何なんですが、僕の言葉がすべてじゃないということですね。むしろ、子どもたちには僕の想像を超えて行って欲しいんです。僕は、あくまで指導者であり、一人ひとりの個性や成長速度を見て、経験から得た知識で手助けをする立場なので、それをどう生かすかはプレーヤーである子どもたちそれぞれが自分の頭で考えて実践して欲しいです。今はそういうスタンスなので、何々をしろ何々をやれとかは一切なくて、子どもたちがこちらの言葉をうまく活用して成長してくれればそれでいいです。今は凄く情報が氾濫していて、それを自在に使える一方で、子どもも大人も自主性がスポイルされる傾向があると思うんです。だから余計にこういうやり方は難しいのですが、それでも、その子のためを思い、熱意を持って指導をすれば必ず子どもたちに響くと思っていて。だからいつもその子を思い、熱意を持って全力でぶつかっています。

なかむら けんご 1980年、東京都生まれ。中央大学卒業。キャプテンとして臨んだ4年時に関東大学リーグ2部で優勝し、1部復帰を果たす。2003年、Jリーグの川崎フロンターレ入団。以降、現役を引退する2020年シーズン終了まで、キャプテンを務めるなどチームの顔として活躍。2016年シーズンJリーグ年間最優秀選手。2017年、2018年J1リーグ連覇。また2006〜2013年、日本代表に選出され2010年のワールドカップ南アフリカ大会に出場。現在は中学生対象のKENGO Academyのサッカースクールを主催、児童虐待防止を呼び掛けるピンクアンブレラ運動を展開している。

(月刊MORGEN archives2021)

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