• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

加藤 一二三 さ ん(将棋棋士)

大学の恩恵はどんなふうに

 大学に入って良かったのは、当時は、とかく将棋の秀才は学校に行かないと思われがちだったので、それに楔を打てたことですね。今もテレビなどで「大学まで行ったよ」と言うと驚かれるんだけども、別に将棋ってそういう人ばかりでもないよ、ということです。もちろん学校に行けば何でもいいというんじゃないんだけど、棋士に偏見を持たれないのも大事と思うので、そういう意味でも良かったと思います。もう最近は、大学はおろか大学院まで行く棋士もいますし、あるいは藤井聡太さんのように、軌道に乗り切ってしまえば行かないのも手です。よりケースバイケースになっていますね。

順風満帆の棋士生活にもやがてスランプが来ます

 18歳で八段になり、そこから10年あまりトップを走り続けるわけですが、30になったときに、突如として行き詰まりを感じた。(私の棋士人生は行き詰まった、このままじゃあ先がない)そう思ったんですね。そのとき、迷いと呻きの奥から小学校の原風景が鮮やかに立上った。実は、幼い日に小学校の教室でクラシック音楽の偉人たちの肖像画を見たときから、宗教、キリスト教のことが胸にひっかかり、ずっとコツコツ勉強を続けていたんです。そこで初めて洗礼を受けることにした。そこからまた走りはじめるわけですが、元来、私の人生観は、人っていうのは例えどんな人間であっても、行き詰まることはあるかもしれない。で、行き詰まったときどうするかっていうと、そのままではやっぱりダメで、どうにかしてそれを突破しなくちゃいけないんです。この場合、その助けがキリスト教だったわけですね。

洗礼に心境はどう変化を

 行き詰まりを感じていたさ中、次の一手を指すときにどんな心境で決断を下したものかと迷いが生じたことがあったんです。それがキリスト教の洗礼を受けたことによって淘汰された。つまり、我々は懸命に考えるけれども、それが本当に一番良い手なのかは分からない、そこに迷いが生まれるわけです。それがキリスト教の洗礼を受けてからは、まず神様にお祈りをし、そして今まで通り真剣に考えていく、そうして指していけばいい——、というのを悟ったんです。両者は似ているようで違っていて、同じように真剣なんだけども、どんな結果であれそれを神様が見守ってらっしゃると思うと迷いなく指せるわけです。

新刊『だから私は、神を信じる』を通して伝えたいことはなんでしょう

 この本には、キリスト教によってどのように私の人生が導かれたかを克明に綴ってある。これは、現ローマ法王の言葉なんだけど「キリスト教の話をするとき、あまり抽象的だと伝わりにくい。だからできるだけ自分の経験を語りなさい」というのがあって、それを念頭に書いたわけですが、自分にとっても非常に良いチャンスだったと思います。中身はシンプルで、教会に行って祈ったら、翌日の対局で良い手が指せただとか、充実した日々が送れたとかの体験がつらつらと並んでいる。で、何が言いたいのかと言えば、宗教というのもやっぱり体験なんだということです。やってはじめて分かることがある。もう一つは、キリスト教の教えに「どんなことがあっても庭を失ってはいけない」というのがあって、この庭というのはイエス様のことなんだけども、これはつまりどんなときも、神の御心を胸に穏やかであれ、ということです。この教えは、一般にも凄く大事だと思っていて、例えば他者、身内との議論でもあまり白黒ハッキリつけすぎるのは危険です。そうした日常のトラブルを避ける知恵なんかも、この本にはふんだんに盛り込みました。ぜひ手に取っていただけたら嬉しいですね。

かとう ひふみ 1940年、福岡県生まれ。14歳で当時史上最年少の中学生プロ棋士となり「神武以来の天才」と評された。史上最速でプロ棋士最高峰のA級八段に昇段して以来、最年長勝利記録・史上最多対局数を記録。 名人、十段、王位、棋王、王将のタイトルを獲得。2017年に現役引退後、バラエティ番組等にも多数出演し、「ひふみん」の愛称でも親しまれる。仙台白百合女子大学客員教授。著書に、最新刊『だから私は、神を信じる』をはじめ、『天才の考え方』(共著)、『ひふみの言葉』、『幸福の一手』、『天才棋士加藤一二三 挑み続ける人生』、『求道心』など多数。

(月刊MORGEN archive2020)

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