山崎 健一さん(元教員・市民ジャーナリスト)

被災地に立って見えること

 私のところに来るのは、基本的に口コミで知った人たちです。大型バスでやってくる人たちを、まずいわき市から案内する。案内をしながら思うのは、やっぱり外から眺めるのと実際にその場に立って見るのでは全然違う。人生観が変わると思うんです。特に、浪江町の小学校の様子とかね……。遠く、原発が見えるんだけど、事故の傷跡を色濃く残していて、慄然とする。あの場所にあることも、一層、事故の必然を感じさせる。今から53年ほど前、私は目の前に展開される福島第一原発の建設工事を見つめていた。35メートルの海岸段丘を25メートルも削り、残りの10メートルばかりの所に原子炉の建屋を作る。大熊町の夫沢の高台から眺めるそれは、恐ろしいほど不自然で、なんでこんなにも削るのか、という不安と疑念が渦巻いた。冷却水確保の容易さ、資材運搬の利便性のため――、説明は一見明瞭だったけど、やっぱりどう考えても、津波が来たらどうなんのかな……、という気掛かりは消えなかった。絶対おかしい、ずっとそう思っていました。でも、これは地元民はみんな少なからず感じていたことのようで、事故後、やっぱり……、と溜息を洩らした人は、身の回りにも一杯いたんです。

避難解除の現実

 2016年の7月、5年ぶりに小高区の避難が解除された。しかし私は不安でした。というのも、実は解除の数日前、ジャーナリストの杉本裕明さんを小高区に案内していたんです。小高川を河口に沿って歩くと、ふと堤防の下に黒いフレコンバックが大量に埋められているのが視界に入った。県の工事事務所はこれを「山砂」だと説明しているけども、袋はどう見ても、除染廃棄物用のものだった。その年の6月、環境省は1キロ8000ベクレルの放射性廃棄物の再利用を発表したばかりだった。これに対し、南相馬市長は、3000ベクレル以下なら認めると応じました。これが本当に山砂なのか……、鈍い光を放ちうずもれる袋の塊を無言で見つめた。同じく小高区に新設された仮設焼却施設にも疑問が立上った。津波の残骸など、低線量の放射性廃棄物の処理施設と環境省は説明するけど、どこまでそれが本当なのか。それまで、ウソや言い訳ばかりが繰り返されただけにハイ、そうですか、と信じられるわけがない。被災現場に立つというのは、こうした当事者意識の芽生えも生んでいくんです。

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