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清々しき人々 第6回 生涯に10万体以上の仏像を彫刻した 円空(1632-1695)

素朴な仏像に驚愕の値段

 二〇一六年九月二〇日に放送されたテレビ東京の名物番組「開運!なんでも鑑定団」の舞台に大小様々の六〇体の木彫の仏像が設置され、鑑定されることになりました。鑑定を依頼した男性の期待した値段は一五〇〇万円であり、会場は騒然となりました。騒然となった理由は、素人が制作したような塗装もされていない荒削りな仏像だったからです。この仏像の作者は円空という名前の江戸時代前期の僧侶ですが、今回はこの円空を紹介します。

 現在ではインターネット・オークションに多数の偽物が出品されているほど円空の仏像は人気がありますが、これは最近のことです(図1)。二〇一三年に東京国立博物館で大規模な展覧会が開催されましたが、一般の人々に円空が紹介されたのは一九五〇年代以後で、五七年一〇月に岐阜県立図書館で開催された「円空上人彫刻展」が全国で最初の本格的展覧会とされています。この催事が岐阜で開催されたように、円空は岐阜に関係のある人物です。

図1 円空の仏像

生涯に一二万体を彫刻

 江戸時代後期の歌人の伴嵩蹊が一七九〇年に出版した『近世畸人伝』(図2)には、江戸初期の陽明学者である中江藤樹や本草学者である貝原益軒など著名な人物九〇余名とともに「僧円空」として簡単な伝記が紹介されており、江戸時代には、それなりに周知の人物のようでした。それ以外に名古屋市にある荒子観音寺の住職が江戸末期に寺院の由来を記録した四巻の『浄海雑記』に円空の記事がありますが、ほとんど記録のない人物です。

図2 『近世畸人伝』

 

 このように文字の記録は極端にわずかですが、円空が彫刻したとされる仏像が愛知県内に約三〇〇〇体、岐阜県内に約一〇〇〇体、蝦夷から東北、東海、関西までの各地に約一三〇〇体など、合計すると現在までに約五三〇〇体が確認されており、それらの分布などから、生涯に一二万体以上の仏像を彫刻したと推定されています。円空は六四歳で逝去しており、一歳から彫刻を開始したとしても年間約一八〇〇体、一日約五体ということになります。

 実際には三〇歳過ぎから制作を開始したのではないかと推定されていますから、年間約三六〇〇体、毎日制作したとしても一日に一〇体になり、誇張されているという印象ですが、五九歳になった一六九〇年に岐阜県高山市で制作した仏像の背面に「十マ仏作己(一〇万体の仏像を制作)」と刻字されていることや、名古屋市にある荒子観音寺(図3)には円空の仏像が一〇〇〇体以上も保存されていますから、まったくの誇張でもなさそうです。

図3 荒子観音堂

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