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清々しき人々 第8回 景観建築を誕生させた F・L・オルムステッド(1822-1903)

広大なセントラルパーク

 ニューヨークのマンハッタンにあるセントラルパークと東京の都心にある日比谷公園は対比されることがあります。どちらも巨大都市の中心にある公園という意味では類似していますが、前者は四〇〇〇メートルX八〇〇メートルで面積三四〇ヘクタール、後者は五〇〇メートルX三〇〇メートルで一六ヘクタールと二〇倍も相違しています。完成も一八五九年と一九〇三年で四〇年近い差異がありますが、それ以上に内容が相違しています。

 日比谷公園は一部に和風庭園もありますが、大半は広場を中心とした空地で、建物も図書館、公会堂、料理店くらいしかありません。セントラルパークの大半は人工の森林で、鳥類が遊泳している湖沼やアイススケートリンクなどの運動施設もあります。さらにメトロポリタン・ミュージアムを筆頭にいくつかの博物館や美術館もあります。このアメリカで最初の都市公園を設計したフレデリック・ロー・オルムステッドを紹介します。

農業から記者に転身

 オルムステッドは一八二二年にコネチカット州ハートフォードの裕福な商人の家庭の長男として誕生しました。オルムステッドの祖先は一七世紀の初期にイギリスのエセックスから移住してきた由緒ある一族でした。オルムステッド本人はイエール大学へ入学を希望していました。しかし、その時期に病気で視力が低下したため入学を断念し、見習い船員、商人、貿易など様々な仕事に就業しますが、農業を本業にしようと決心します。

 そこでイエール大学に入学して農業を勉強して卒業し、一八四七年からはマンハッタンの南側にあるスタテン・アイランドに父親がオルムステッドのために購入してくれた五〇ヘクタールもある広大な農地で農場を経営していました。その場所をオルムステッドは「トソモック農場」と命名して一八六六年まで経営しており、その住居も保存されています。後年、オルムステッドが景観建築の元祖となる背景は、ここでの経験にあります。

 しかし、その時期にオルムステッドは転身を開始します。一八六一年に勃発するアメリカの南北戦争は奴隷制度の賛否を背景とする内戦ですが、すでに五〇年代から気配はありました。奴隷制度に反対のオルムステッドは五二年から五七年にかけて南部を旅行して実態を見聞した経験を『ニューヨーク・デイリー・タイムズ(現在のニューヨーク・タイムズ)』に「テキサス旅行」など何本かの記事として掲載し、奴隷制度に反対の意見を表明します。

 その経験を評価され、一八五五年から五七年までは『パットナムズ・マガジン』という雑誌の編集長に就任、六五年には『ザ・ネーション』という雑誌を共同で創刊します。このような経験を背景にして、次第に本業となる景観建築や公園設計の方向に転向していきます。五六年にはニューヨークの作家や画家で構成する「センチュリー・アソシエーション」の会員になり、すべてのニューヨーク市民のための公園を提案しています。

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