• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

早見 和真さん(小説家)

 早見和真さんは小説家である。最新作『ザ・ロイヤルファミリー』は、名作『日の名残り』に着想し、立上ったというが、その文体は、緻密に涼しい。デビューから休めない筆には、小説家という仕事に悔いを残したくないという、人生哲学と、一度は奪われた青春の苦みが宿る。情熱の俊英に、十代を訊いた。

どんな少年時代を

 横浜に生まれて。小学生のときは、ホントに、今だったらちょっと病名がつくんじゃないかってくらい、一カ所にいられない子どもでしたね。まるで、少年小説の主人公のように、家出ばっかり繰り返して。マンホールに潜り込んだかと思えば、夜逃げした空き家に忍び込んで救出されたり—。体も大きくて野球をやっていて、そんな全部をひっくるめ、いわゆる子どもらしい子どもでした。

家出の動機は

 もう単純に好奇心です。とにかくやりたいことは全部やる子だったんですよ。昼間、何気なく見やった空に飛行機が浮かんでいる。あの飛行機を追いかけたら空港につくんだろうか……、そう思ったらもう止まらない。自転車のハンドルを機影に向け、ペダルに足をかけて無心に後を追う。もちろん、あとで親に怒られるのは分かっているんだけど、ペダルを踏む足は、よどみなく一定のリズムを刻む。横浜の外れから羽田に着いたのは、夜の10時半。手持ちが10円玉ひとつだけというのは頭にあったので、どうせ迎えの電話をかけるなら空港で、と思っていた。電話口の母は半狂乱で、こっぴどく叱られたのを憶えています。

中学時代の風景は

 野球推薦で桐蔭学園に入ったので、当然、自分はプロ野球選手になるだろう、と思っていた。そんな自分の当たり前が完膚なきまで破壊されたのは、2年に上がったとき。のちにジャイアンツで監督にまで上り詰める高橋由伸さんが高校に入学してきたんです。眼前の大器の破壊力は凄まじく、自分はプロにはなれないという現実を、イヤと言うほど突き付けられた。まア、今にして思えば、中2でそこに気付けたのは財産なんだろうけど、そのときは、なにしろ人生で初の挫折ですからね。そこからしばらく生きづらい日々が続いた。どうやって生きればいいか分からないまま、ただ、野球選手として自分は完全に偽物だ、という事実だけが残って……。本当に苦しかったですね、中学時代は。

高校ではどんな日々を

 なにしろ推薦で入った責任があるから、相変わらず野球部に入って生活をするんだけど、そのときには、もう、プロ野球選手に……、という気力は完全に無くなっていた。ただもう、ベンチ入りするなりして、どうやって自分と野球の間の折り合いをつけるかだけがテーマになっていました。でも、このときには、この3年間が自分に残された野球の最後の時間というのもはっきり分かっていて、そこからは、逆に、呼吸しやすくなっていきました。

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