岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館 学芸員)

 それをより鮮明にしたのは欧州旅行だった。欧州には大きな美術館以外に小さな美術館が一杯あるんです。それを見て歩くうち、多分、自分は小さな箱の方が好きなんだな、というのが分かった。大きな美術館は何でも揃っているけど、逆に言えば深みがない。上澄みをすくって寄せ集めただけのようにも見える。それよりも、小さくてもしっかり根を張っている方が僕の目には魅力的に映った。そう思ったとき、丸木美術館ほど根っこを張っているところは他にないなと気付いて。

 丸木美術館には初の学芸員として入ったわけだけど、そこにも動機があった。サン=テグジュペリの小説に、自分の椅子(仕事)は自分で用意する、というような言葉があるんだけど、当時、それに凄く影響を受けていたんです。誰もが目指す場所ではなくて、自分の居場所を作りたい。そして、それは丸木美術館かなと思った。

丸木美術館は慣れるまで大変では

 予想以上に大変でしたね。まず、面接で聞いてた金額と最初の給料が違う(笑)。それに何しろ基本が自給自足の生活なので――。皆さん良くしてくれるけど、でもそれだけじゃ生活は回っていかない。で、結局それは自分でやるしかない。もう怒りのパワーです(笑)。「こんなに生活ができないなんてオカシイ」ってね。こう言うと、「なんで逃げ出さなかったんですか」って凄く言われるんですが、じゃあ逃げ出して、その先でまた椅子取りゲームで人の席を奪うのかと考えたとき、それは違うなと思ったんです。

 大学卒業後の数年間、欧州を含め各地を旅して歩いた。旅をすること自体が日常化する中で、ふと違和感を感じた。日常から離れて生きるために旅をしていたはずなのに、いつの間にか移動することが日常になっている。これじゃ同じことの繰り返しだと。それならいっそ、ちゃんと一ところに根を下ろして暮らした方がいい。そう思って日本に帰って来たんです。

 一旦、丸木美術館に居を定めたからには最期までとは言わないまでも、せめてきちんと根を下ろした実感が持てるまでは、少なくとも自分から離れることは出来ないという思いがあった。

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