『社会とことば(井上ひさし発掘エッセイ・セレクション)』

井上 ひさし/著

岩波書店/刊

本体2,000円(税別)

読んだことのない言葉に出会えます   

 「遅筆堂」の名とは裏腹に、井上さんは多筆で速筆だった。今年は没後十年。彼には著書に入れられていない文章が多数ある。本書は、雑誌や新聞等に残るそれらを集めたもの。

 井上さんは、本当に言葉が好きな人である。言葉に取り憑かれているといってもよい。手元にはお気に入りの国語・古語辞書を常に数冊おき、発見があるとすぐ余白に書きこんでいた。

 日常の小さなことから井上さんは言葉の種を見つける。例えば、丸善万年筆の説明書に「丸善は、日本で初めて万年筆と命名」とあるのを見つけ、日本国語大辞典(小学館)を引く。すると「まんねんふで」の項に「矢立ての異称」とある。そこで気づく。以前からある「万年ふで」を「万年ヒツ」と読ませたことが新商品の命名につながったのだ、と。曰く「いい国語事典は時に凡庸な歴史辞典にまさる」。この言葉には,井上さんの言葉に対する敬意と愛情がこめられている。井上さんにとって辞書は、単に分からない言葉を引くものでなく、日本語の文化と歴史に思いをはせるための愛読書ともいえる。思わず「ありがとう辞書、ありがとうひさしさん」と頭を下げたくなる。

 「言葉はできるだけ正確に使うこと、そこからしか希望は生まれない」と本書の末尾にある。コロナのため、オンラインで会話することの多い今。授業やHRもズームで行う学校もある。しかし、だからこそ、ありきたりの言葉でなく、自分だけの言葉で気持ちをこめて発することが、人と人をつなぐと感じる。折しも世田谷文学館では「井上ひさし展」が開かれる。2020年10月10日(土)~12月6日(日)。

(評・田園調布学園中等部・高等部 司書教諭 二井 依里奈)

(月刊MORGEN archive2020)

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