佐藤 敏郎さん(小さな命の意味を考える会代表、スマートサプライビジョン理事・特別講師)

 受け入れることは到底できないけれど、受け止めることは必要じゃないですか。進むにしても戻るにしても、受け止める。それから、目をつぶってもいいし、立ち向かってもいいし、泣いてもいい。いろんな言葉がある中で、彼女がたどり着いた言葉です。この句を読んだ私にとってもそうでした。

 「窓ぎわで 見えてくるのは 未来の町」という句がありました。窓からはガレキに埋もれた風景しか見えませんでした。でも「未来の町が見えてくる」というんです。あの景色のどこに未来の町が見えていたのでしょう?「未来」という言葉を使った生徒はたくさんいました。

 今女川は、ガレキがなくなり、かさ上げをし、駅ができ、商店街ができ、観光客もたくさん来ます。賑わう町を歩いていると、よくあの句を思い出します。

現在の女川町の風景・高台にて

 あの授業はいったい何だったのか、数年後、高校生になった彼らと座談会をしたことがありました。やはり最初は「なんでいきなり俳句なの?」と思ったようです(笑)。

 生徒たちは異口同音に「自分は言葉を失っていた」と語りました。人は衝撃を受けると言葉を失いますよね。悲しくても、びっくりしても、嬉しくても、なんて言ったらいいか分からなくなる。あの時はまさに言葉を失う状況でした。言葉にする機会もなかったし、言葉にしたくもなかった。

 だから、あの授業で初めて言葉にしたと言っていました。しかも俳句なので、長々と説明できない、というか説明しなくてもいいということ。逆に、字数が限られているので、言葉を吟味することになるんですよね。ジグソーパズルのピースのように、似ている言葉はたくさんあるけど、自分の気持ちにピタッと合う言葉はなかなかない。

 ほぼ全員が津波のことを書いたんですが、「津波」という言葉を使った生徒は数えるほどでした。身近な人が亡くなったことを詠んだ生徒もたくさんいましたが、「死」「命」という言葉は一人も使っていませんでした。「逢いたい」とか「ありがとう」とか「青い空」といった言葉で表していました。

 それから短いので掲示物やプリントで何十人、何百人の句が共有できるということ。生徒はそれを見て「あ、私だけじゃないんだな」「同じ気持ちの人がここにも、ここにもいる」と思えたと言ってました。それから、逆に「ああこんな考えの人もいる」「こう考えてもいいよね」と違いを認め合うことができたんだと。

 「言葉にしてもいい」「孤立しない」「違いを認め合う」これは災害とか関係ないですよね。すべての教室で、いや世の中全体で大事なことですよ。

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