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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第9回 世界で最初に麻酔を開発した 華岡青洲(1760-1835)

 医院を開業していた歯科医師H・ウェルズ(図3)は地元の催物で笑気ガスを吸入した人間が物体と衝突しても平気であることに気付き、医院で笑気ガスを吸引させて抜歯をしたところ成功し、以後、一五人の患者の抜歯をしました。そこで一八四五年にボストンのマサチュセッツ総合病院で、笑気ガスを吸引した患者の抜歯をする公開実験をしましたが、薬量が不足していたため患者が悲鳴をあげて失敗となり、批判されてしまいました。

図3 H.ウェルズ(1815-48)

 その実験を見学していたウェルズの弟子の歯科医師W・モートン(図4)は笑気ガスではなくジエチルエーテルを使用することを検討し、まず薬品を気化させて吸引させる専用装置を開発し、一八四六年にウェルズが失敗したマサチュセッツ総合病院で腫瘍の切除手術を実施します。歯科医師のモートンは手術の免許がないため、専門の外科医師に執刀を依頼し、手術は見事に成功しました。これは世界に報道され、モートンは著名な人物になります。

図4 W.T.G.モートン(1819-68)

 この報道の影響により、わずか二ヶ月後にはロンドンでジエチルエーテルを使用した抜歯が実施され、さらにロンドン大学の外科教授のR・リストン(図5)が下肢切断に成功しています。これはヨーロッパで最初の麻酔による手術でした。翌年の一八四七年になるとフランスにも伝播し、ジエチルエーテルを使用した手術が実施されています。この情報はオランダを経由して日本にも伝播してくるほど医学の分野では画期的出来事でした。

図5 R.リストン(1794-1847)

世界で最初に開発した日本

 欧米中心の歴史では、近代医学の麻酔の発明は上記のような経緯で説明されていますが、それより四〇年以上前に日本で全身麻酔による乳癌の手術に成功した人物が存在します。一七六〇年に紀伊国那賀郡西野山村(和歌山県紀の川市)の医師である華岡直道の長男として誕生した華岡青洲です。子供の時期から怪我や病気で父親に手当をされる人々を毎日、眼前にしていた経験から、自分も医師として人々を救済したいと医師を目指します。

 そこで二三歳になった一七八二年に京都に出掛け、漢方は吉益南涯に師事し、外科は大和見水から長崎のオランダ商館の医師カスパル・シャムベルゲルが伝達したカスパル外科を習得します。さらに見水の先生である伊良子道牛が古来の東洋医学とオランダ式外科学を折衷して確立した「伊良子流外科」も勉強しました。それ以後も京都に滞在し八五年に帰郷しましたが、その四ヶ月後に父親が死亡したため、家業を承継して開業します。

 京都に滞在していた時期に、最新の医療器具と多数の医学図書を購入して帰郷しましたが、その一冊である永富独嘯庵の『漫遊雑記』に「欧州では乳癌を手術で治療するが、日本ではまだ実施されておらず、後続の医師に期待する」という一文があり、これが青洲の将来に多大の影響をもたらしました。永富は漢方の医師でしたが、長崎でオランダ医学も勉強し、漢方に不足している部分はオランダ医学も参考にすべきという見解の医師でした。

 欧米では一六世紀から乳癌の切除は実施されていましたが、麻酔の手段が開発されていなかったため、全体を切除せず、目立つ患部を切除するだけでした。それでも術中も術後も激痛が襲来しましたが、それ以上に問題だったのは、全体を摘出しないために再発し、十分な効果はないというのが当時の状況でした。一方、当時の日本では乳房は女性の急所であり、これを除去すると生命そのものに影響するとされていたので、除去は論外でした。

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