• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

梅沢富美男さん(俳優)

 俳優・梅沢富美男さん。テレビを点ければ見ない日はない、今話題の「国民的70代」だ。「レモンの妖精」の着ぐるみで臨むレモンサワーのCMに、独特の切り口が光るバラエティ番組『プレバト‼』(TBS系)での俳句の調子は、舞台演劇で冠する「下町の玉三郎」に甘んじることなく新境地を拓き続ける大御所の煌めきに満ちるが、実はその裏側で、コロナ禍、率いる『梅沢富男美劇団』は深刻な運営難に陥っていた。

 そんな人生の妙味すべてを詰め込んだのが、エッセイ集『人生70点主義 自分をゆるす生き方』(講談社刊)だ。「人生で一番大切なのは愛」――母の教えの真心にまっすぐ生きる当代のスターに十代を訊いた。

福島のご出身と聞きました

 そうなんです。福島県福島市で生まれて。ただ、だからと言って僕に福島県人の血が流れているかと言えばそうじゃない。たまたま、軍人だった親父が「福島に有名な宣教師がいる」という話を聞きつけてね。「あそこには爆弾が落ちないんだ」という専らの噂だった。

 当時、この話は結構有名で、黒柳徹子さんを含め、多くの著名人が福島に疎開していた。ウチもこの話を親父から伝え聞いたお袋のたっての希望で、福島に家を買い、そこで長男から僕まで7人を生み育てたわけです。

小さい頃から芝居の世界に

 ウチの家業は舞台演劇でね。僕も1歳7カ月で初舞台を踏んだんです。そうしたら〈天才子役現る〉なんて新聞なんかに取り上げられて、たちまち売れっ子になった。

 小学校に上がるとき家の方針で一旦は舞台を降りるんだけど、それまですっかり優雅な暮らしをしていました。その頃は、その後待ち受ける極貧生活のことなんかこれっぽっちも想像してなかったね。

小学校時代、大変な苦労を

 僕が小学校2年にあがるとき舞台演劇がダメになっちゃってね。というのも、丁度その頃はテレビや映画が台頭し始める大衆娯楽の一大変革期だったんです。それまで舞台に見に行っていたものが、家でテレビを見るようになってしまってね。それで実演の役者はすっかり干上がってしまった。

 小学校2年の後半からは給食費すら払えなくなり、毎日、給食の時間5分前になると、「梅沢――」と先生が声を掛け目配せしてくる。そうしたらそれを合図に校庭に出るんです。その場にいたら給食の匂いをかがなきゃいけないわけで、それを避けるためなんだけど、そのとき思ったんですよ。「ああ、役者なんかやってるからこんなことになってるんだな、辛い思いするのはオレだけなんだ……」って。

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