• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

阿部 華也子 さん(お天気キャスター)

地元・大分で、ご当地アイドルをされていたとか

 もともとステージに立つのが大好きでした。それで、中学生のときに文化祭でソーラン節を踊ったんです。それを見た地元の芸能事務所の方にスカウトして頂きました。小さい頃から夢見た煌びやかな世界が急速に近づくのを感じ、息を弾ませて両親に報告すると「いいんじゃない」って言ってくれて。その後、事務所に所属したのですが、最初は特にこれという活動もないままに月日が流れて……。でもそのうち、歌やダンスのレッスンが始まり、気づいたら「来週ステージだからね」って言われて。いつの間にかアイドルになっていたんです(笑)。活動は、そのとき一緒だった5人とチームでやっていました。

その頃の学業は

 ウチの両親、勉強に力点を置いてないのか、あんまり「勉強しなさい」と言われた記憶はないんです。でも、もしかしたらそうじゃなくて、私があまりに勉強しないから諦めただけかもしれないですけど(笑)。ただ、そのときは勉強よりとにかく毎週のステージに夢中になっていました。

学校との両立は

 塾や習い事は特に通っていなかったので、平日は学校のあとダンススタジオに行って。たまに歌のレッスン、土日はステージに上がって……。それを部活のような感覚で楽しくこなしていました。両親も、「今しか出来ないことを大切に」と応援してくれました。

高校時代はどんな生活を

 2年になるとき、「学業を優先するので」と、アイドルを卒業したんです。そこからは、いよいよ勉強に専念するわけですけど、理系科目が本当に苦手で。それまで理系クラスにいたんですけど、一向に成績が振るわない。ちょっとこれじゃ受験出来ないなと感じました。それで思い切って文系にコースを変えたんです。もともと、受験に有利かもと選んだだけで、特に理系は得意ではなかったし、文系も嫌いじゃない。なので、そんな理由で追いつくまでしばらく大変だったのを憶えています。

大学進学の起爆剤は

 周りも大学に行く人が多かったので、自然の成り行きで……。両親も、「大学には行きなさい」という考えだったし、「東京に出てみたら」とも言う。なので、受験はするものだ、とは思っていましたね。

受験勉強の思い出は

 そうですね、頑張りました(笑)。長時間集中するのが苦手なので、2、3カ月ぐらいにギュっと詰め込んでやろうと決めて(笑)。横着ですよね(笑)。でも、そのときばかりは、人生で一番ぐらい勉強しました。

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