『会社員 自転車で南極点に行く』

 自転車旅行の魅力は〝線の旅″であることだ。観光地を飛行機や自動車で飛び飛びに訪れると、〝点の旅″になる。それが自転車なら、たとえ直線では100キロの距離でも、細かい路地を自由気ままに走らすことで1000にも2000にも旅路は延びる……、密度が濃いのだ。大学で考古学を専攻するなど、古い町並みや地図好きなことも、幸いし、青年は存分に旅を楽しんだ。

 大学2年の夏、アラン・ムーアヘッドの『恐るべき空白』で知られるオーストラリアの内陸砂漠に挑戦した。砂漠を縦断し、アラフア海に辿り着いた瞬間、魂が爆発するような衝動にかられた。命からがら成し遂げた、その冒険は、若き肉体に、確かな熱を注ぎ込んだのだった。

南極に恋をする

 大島さんが南極と出会ったのは、大学2年のとき。図書館で手にした一冊の本だった。冒険家・大場満郎の南極横断記に掲載された一枚の写真。地の果てまで続く雪原と宙まで突き抜ける青空――もしこの場所を自転車で走れたなら……。地上でもっとも天国に近い場所を歩くその姿、風景は、青年の心を強烈に刺激した。それでもやはり、現実の自分はちっぽけな存在だ。この冒険家のように、特別な人間じゃない……、打ち消すように否定すると、本を遠ざけた。

 数年後、大島さんは神戸にいた。家族を持ち、日々の仕事に没頭するどこにでもいるサラリーマンになって。そんなある日、新婚旅行先を調べに入った図書館で、偶然、南極に再会する。『旅する南極大陸』と題したその本の内容は衝撃的だった。〈今、この時代、南極大陸には一般人でも観光することができる〉、その一文を目にした瞬間、夢と現実が重なった。南極を自転車で走る――実現、5年前のことである。

 実は大島さんが南極に挑戦したのは、一度ではない。2013年、知人のつてを頼り、南極を試走する機会を得た。スポンサーを集め、装備も万端、後はプレ走行を成功させるだけ……のはずだった。しかし、結果は散々なものだった。主因はタイヤにあった。用意したのは、横幅があり、雪に凍らない構造のもの。浮力も強く、雪上でも問題ないはずだった。極地テストも幾度となく行っている。にもかかわらず、タイヤは南極の地面をとらえる事が出来ない。空気中の水分が乾燥しては落ち、塵の沼のようになる南極の大地では、後輪にスパイクが必要だった。だが、大島さんはその用意を怠っていた。痛恨のミス――スポンサーも、装備も、すべてを失った。会社にも、これ以上の有給休暇のまとめ取りは厳しい、そう渋られた。身も心もズタズタだった。これ以上ない逆境、しかし、その中で、ひとつ心に消えない灯火があるのに気付いた。ああ、それでも自分は本当に南極に行きたいんだ――。

 南極旅行の旅費は、当然のように高い。南極基地のツアーで100万以上、目指す南極点へは、1000万以上はかかった。渡航制限もある。その中で、さらに自転車で南極点を目指そうというのだ。ルートは、葛藤の末、南緯89度から南極点を目指す「ラスト・ディグリー」を選んだ。当初は南極基地ユニオン・グレーシャーからの1000キロの旅を考えたが、逗留期間3ヶ月という期間、ラスト・ディグリーの1・5倍にも膨らむ費用から断腸の想いで断念した。いずれにせよ、試走の失敗で、スポンサーへの返金などに奔走し、貯金も底をつくなか、さらに1000万円を超える借金を抱えることになる。それでも、南極へのおもいは募る一方だった。

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