• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

中村 太地さん(将棋棋士)

東京に戻るといよいよ将棋の道を歩みはじめます

 将棋には強さの一つの指標として、「アマチュア初段」というのがある。これが柔道で言うところのいわゆる「黒帯」くらいのイメージなんだけど、僕はそれを小学校の早いうちにクリアすることができた。それから土日を将棋クラブに通い始めて。

 僕が通ったのは八王子にある将棋クラブで、羽生さんを輩出したことで有名だった。ふつう〝将棋クラブ″というと年配の方が多いんですが、珍しくそこには同年代がたくさん集まっていたんです。そこで楽しく腕を磨いた。それで小学校6年生のときに「本格的にプロを目指したい」と、奨励会に入ったんです。

プロを志したきっかけは

 小学2年か3年のとき、羽生七冠が誕生したんです。世間の熱狂を受けながらどこか飄々とするその姿に、幼い棋士を自認していた僕はすごく感動して……。自分もああなりたいと強く思った。ときが経つにつれその思いは熟していって。

学業も両立されます

 学校は楽しかったし、勉強も嫌いじゃなかった。どちらも、やるからには頑張ろうかな、と。あとは、「将棋のプロ棋士になる」と言いだした僕を両親が心配したんです。それで、将棋の棋士を目指すなら必ず大学までは行くこと、と約束させられて。そもそもプロになれるかもまったく保証のないことだし、なったらなったで狭い世界なわけだから、やはりそこは一般社会のことも知っておくべきだというわけです。そんなことから大学を目指すことになって。

両立に苦労は

 それはやっぱり将棋だけに集中している方が有利ですからね。ライバルたちが将棋だけに注力しているときに、自分はほかのことをやっている……、そんなふうに引け目を感じることもありました。

(自分なりに工夫してやらないとこれはとても追いつけないぞ)という気持ちが、どうしても胸の奥からせりあがる。だから高校の部活や大学ではサークル活動もやりたかったけど、そこまでやってしまうと、さすがに将棋にかける時間がなくなってしまう、と諦めて。

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