• Memorial Archives
  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第20回 写楽を誕生させた 蔦屋重三郎(1750‐1797)

『吉原細見』から出発

 その人物の最初の活躍の舞台となる江戸の遊郭があった吉原の歴史から紹介します。江戸時代初期の元和三(一六一七)年、現在の日本橋人形町に幕府公認の吉原遊郭が誕生しました。江戸には全国の大名屋敷があり、独身の若者が多数生活していたため、そのような施設の需要があったのです。しかし明暦三(一六五七)年の大火・振袖火事で江戸の大半が焼滅してしまいます。

 幕府は江戸再建の一環として吉原遊廓を浅草に移転させました(図1)。その吉原で寛延三(一七五〇)年に誕生したのが蔦屋重三郎でした。商売の才覚があった重三郎は二二歳になった安永初(一七七二)年に吉原付近に販売と貸本を商売とする「耕書堂」という書店を開店します。最初は『吉原細見』という遊郭案内の販売をしていましたが、翌年には最初の書籍を出版します。

図1 吉原遊廓

 『吉原細見』は遊郭の略図、遊女の名前、遊戯の料金などを説明する案内図書で、最初は一枚の簡素なものでしたが、次第に書籍仕立てになり、やがて毎年春秋に二回の改訂があり、明治時代初期まで存在していたベストセラーでした。重三郎は安永四(一七七五)年に、この『吉原細見』を出版する権利を購入し、様々な工夫をした内容にして、一気に販売部数を拡大することに成功します。

 この程度の成功に安住することのない性格の重三郎は発想が豊富で、次々と新規の出版を企画します。『吉原細見』を出版した翌年の安永五(一七七六)年正月には三巻からなる『青楼美人合姿鏡』を出版しました。浮世絵師の北尾重政と勝川春章の描写した遊女の絵姿と彼女たちの発句を掲載した三巻の超豪華本で、自身で序文を執筆するほどの力作で好評でした。

続きを読む
2 / 5

関連記事一覧