• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

室谷 義秀さん(パイロット)

 室谷義秀さんはエアロバティックス(競技志向型)・エアショーチームのパイロットである。2002年にチームに参加して活動を始めると、2009年からレッドブル・エアレース・チャンピオンシップにアジア人として初めて参加。2017年には見事、メインパイロットとしてチームを年間総合優勝に導いた。

 その後、2021にはレクサスとチームパートナーシップ締結。自ら代表を務めるパスファインダーと共に「LEXUS / PATHFINDER AIR RACING」を立ち上げている。前線を最速で走り続ける英傑の10代の道行きを訊いた。

幼い頃から空に憧れを

 そうですね、小さい頃、テレビでよくガンダムを見ていたんです。ああ、あんな風に飛べたらいいなとずっと思っていましたね。スポーツは小学校の頃からサッカーをやっていて、結局、高校までやりました。

 当時から″将来はパイロットになりたい″ともう本当にそれだけ考えていましたね。

当時パイロットになるにはどんな道が

 日本でメジャーなのは、まずは自衛隊に入ることです。そこに高校卒業で入れる〈航空学生〉という制度があって、これがいわゆるパイロットになるための専門のコースですね。

 もう一つは、民間のJALや全日空の〈自社養成〉といって、入社すると会社で養成してくれるというのがある。この二つが花形ですね。給料貰いながら運転できる。

 後は民間の小さい飛行機――4人とか10人乗りくらいのやつで、写真撮影とか、遊覧飛行とか、旅客輸送じゃない飛行機あるんですけど、そういうののパイロットは大抵、自力で免許を取って就職します。大体この3つのパターンのどれかですね。

大学はそのどのパターンを念頭に進んだのでしょう

 もし自衛隊に入るにしても、幹部候補生になるには必ず大卒が条件になるんですね。それが頭にあったので、とりあえず大学には入ろうと思っていました。

 大学は文学部に進んで――って、飛行機、全然関係ないですね(笑い)。学部には特に深い意味はなくて、学友会の体育連盟で航空部というのがあったので、そこに入部して。

続きを読む
1 / 3

関連記事一覧