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清々しき人々 第23回 次々と画風を転換した異才・司馬江漢(1747-1818)

宋紫石の弟子として唐絵を習得

 当時、中国の絵画は「唐画」とか「唐絵」と名付けられ注目されていました。一七三一(享保一六)年に中国から長崎に渡来した画家の沈南蘋(しんなんびん)は写実的な花鳥画の名手ですが、その弟子となった楠本幸八郎はやはり一七五八(宝暦八)年に中国から渡来した宋紫岩にも師事し、宋紫石を名乗ります。一七六四(宝暦一四)年に江戸に帰還した紫石は中国直伝を売物にして一世を風靡する有名絵師になりました(図2)。

図2 宋紫石「岩に牡丹図」

 紫石には数多くの唐絵の作品が存在しますが、対象を正確に描写するという唐絵の特徴を明確に表現した図版もあります。この時代に活躍した平賀源内という学者が一七六三(宝暦一三)年に刊行した『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』という一種の百科辞典がありますが、そこには数一〇枚の植物などの図版が掲載されています。すべて線画ですが、植物の特徴が簡潔明快に描写されています(図3)。その画家が紫石でした。

図3 宋紫石『物類品隲』の図版

 江漢は一七七二(明和九)年末に江戸で紫石の弟子になります。それは上記の紫石の自然を正確に描写する筆法に感銘し、それまで手懸けてきた日本の画法が通俗だと理解したからのようです。そこで名前を唐風にしなければ風雅ではないという紫石の言葉により、姓は司馬、名は江漢とし、ここに司馬江漢が誕生するとともに画風も一気に唐風に変化し、草花や鳥類を忠実に描写した作品を制作しています。

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