• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

春風亭 一之輔さん(落語家)

話すのが好きなったきっかけは

 小学校4年生ぐらいのときに、朝の会で「1分間スピーチ」というのがあったんです。押し出されるように教壇の前に引っ張りだされ、苦手な人前に立たされる。「嫌だな」と最初思った。それが、意を決して適当に考えた創作話を披露し始めると、次々に級友たちは顔を見合わせ、楽しげに口角をあげたんです。そのときはじめて人前で話す楽しさを知った。

落語との出会いは

 小学校には「部活動の時間」というのがあって、毎週、水曜日の6時限目があてられていた。で、5、6年生は必ずどれかには入らなくちゃいけない。そのなかに「落語クラブ」というのがあって、それを「参加人数が少ない」という理由で撰んだ。ただそのころのことはあまり覚えていないんです。『寿限無』や『弥次郎』といった話をとにかく憶えさせられて、それをひたすら人前で演じた。そんなことを小学校一杯やって、いったん落語との付き合いはそれっきりになった。

中学高校で打ち込んだことは

 中学ではバスケットボール部に入りました。でもこれも、なんとなくというか……。いつもそうなんですが、それほど一生懸命という感じじゃないんです。どちらかと言えば、そのころ熱心だったのは、ラジオの方だった。

落語との再会はいつ頃

 高校に上がるとすぐラグビー部に入ったんですが、それを1年でやめてしまったんです。二年になりゴールデンウィークがはじまると、いよいよやることもなくなって、ひとりぶらぶらと浅草を歩いた。高校は春日部でしたから浅草は電車で一本です。そのとき、本当に何気なくふらりと寄席に入ったんです。

 チケット代は1300円。映画よりは安いし、見たこともないから入ってみよう……、そんな軽い気持ちでね。後でプログラムを確認するとトリを務めたのは春風亭柳昇師匠――。ほかにも大勢の師匠方が出演していましたが、そのとき何より印象的だったのは、寄席の雰囲気。同世代が皆無の異世界の中で「自分だけのものを見つけた」と興奮しきりでした。

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