清々しき人々 第25回 騒乱の時代に歌人となった武士・西行(1118‐90)

欲望の渦巻く王朝

 どのような国家にも企業にも組織には栄枯盛衰を回避できない宿命があります。紀元前六六〇年に神武天皇が即位されて以来、二七〇〇年近く、一二六代の天皇が一系で存続してきたとされる日本は世界でも稀有な存在ですが、それでも何回も存続の危機に直面しています。その一回が三九〇年近く継続した平安時代から鎌倉時代へ移行した時期です。その主要な原因は企業の存続にも共通する縁故主義(ネポティズム)でした。

 平安時代後期の太政大臣であった藤原道長の「この世をば/我が世とぞ思う/望月の/欠けたることも/なしと思へば」という和歌が象徴するように、道長は天皇一家との姻戚関係で第六六代一条天皇から第七三代堀河天皇まで八人の天皇を一族から誕生させています。その一人である第七二代白河天皇も源平合戦で入水する第八一代安徳天皇まで九人の天皇を姻戚関係から輩出し、絶大な権力を維持していました。

 この白河天皇は一〇八七(応徳三)年に第三皇子である八歳の善仁親王を第七三代堀河天皇とし、自身は上皇として院政を実施し政治を牛耳ります。そして自身の身辺を警護するため住居である仙洞御所に北面武士を常駐させる体制を整備しました。堀河天皇の皇子である第七四代鳥羽天皇が一一二三(保安四)年に退位して上皇となっていた時期に、一八歳で北面武士として出仕したのが、今回、紹介する西行です。

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