『娘に語るお父さんの歴史』

重松 清/著

新潮社/刊

539円(税込み)

「日々是好日」とは幸せか不幸せか

 平和な時代に生きるだけで「幸せ」だと限定はできない。今まで思いも及ばなかったことを深く考えるきっかけになった。この本は、父に対する娘のふとした質問から、普通のおじさんが公立図書館を利用して、自分が生きてきた時代考証をすすめ、未来・人としての幸せについて語ってくれる。

 今の自分は「幸せ」な時代を生きているだろうか。何気なく毎日をただ過ごし、気が付けば長い時間が過ぎているように思えた。いや、自分が「不幸せ」だと感じたことは一度もない。しかし、「幸せ」だと言い切れるのだろうか。「幸せ」という言葉を私は知っていても、理解していなかったことに気付かされた。

「幸せ」をどのように表現すればよいのか。私は単純に読書が好きだから、朝読という読書時間が至福の時だと感じている。しかし、読書を苦手と感じている人たちにとっては苦痛とも言えるかもしれない。

 幸せに条件や定義などはなく、自分が幸せだと感じたことこそが、自分にとっての「幸せ」なのだ。誰かが決めるものではない。私は改めて自分と向き合い、今生きているこの時代を、私を「幸せ」だと心から気付くことができた。

 父が娘に昔を語るというスタイルで進行していくこの本では、娘は中学三年生で、いわゆる年頃の娘だ。異性である父親のことをうっとうしく感じ、嫌悪感を抱いている。思春期を迎えた娘とその父親という関係は一般的に難しいものなのだろう。父親という存在を、娘が「言葉」としては理解していても、その実像について何も知らないからではないだろうか。コミュニケーションが少ないことで、父親という存在がわからず、嫌悪感を抱いてしまっていたのではないだろうか。私自身は父との会話を楽しい時間であることに疑問を抱かなかった。父は私との関係を嫌悪感を抱かせることなくうまく育てたとも言える。

 今までなんだかわからなかった父親のことを少しずつ理解することで、「時代」の中に父の姿を見ることができた時、子どもにとっての父親の存在が確立されたと言える。

 親子間でのコミュニケーションは子どもの幸せな未来を作るファクターとして大切だということを強く感じた。

(評・東京都 明星高校2年 瀬戸 花子)

(月刊MORGEN archives2016)

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