• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

矢野 喬子さん(元全日本女子サッカー代表、サッカー指導者)

 2011年、ドイツで開催された女子W杯。その決勝を制した日本代表「なでしこジャパン」の歓喜の渦の中にその人がいた。矢野喬子さんは女子サッカーのプロ選手でも草分け的な存在の一人だ。大会前に負った大けがに泣き、本戦の出場はなかったが、気を取り直してサポートに回ると、優勝後は仲間と喜びを爆発させた。現役引退後は、指導者に解説者、講演活動とサッカーにまつわる活動に尽力している。女子サッカー黎明期から力強い歩みを続ける英才の十代を訊ねた。

神奈川のお生まれですね

 私が小さい頃は、まだ女子サッカーはマイナースポーツで。でも意外にも神奈川には女子だけのクラブチームが数多くあったんです。そんな理由からか、今、現役で活躍する選手の中にも、神奈川出身は多いんですよ。

いつ頃からサッカーを

 幼稚園の年長組です。5つ上の兄の応援でサッカーの試合を見たのがきっかけですね。もともと運動神経は良い方で、物心つく頃には、かけっこで男の子に負けることはほとんどなくて。入部したクラブは男の子のサッカーチームで、女の子の参加者は当然のように私だけ。そんな環境ですから、いつも周囲に「どうして女の子が……」という視線を感じてましたね。

男の子に一人混じって、続いたわけは

 やっぱり、好きだったというのが大きかったんだと思います。6年間、男の子の中に一人混じって—―「女子だから」という理由で大会にも出られない。辞めたいと感じることもあったけど、小学校も卒業という頃に、「女子だけのチームがあるよ」と友達が教えてくれて。ようやく女の子だけで集まってサッカーができると思うと、そこでまた気持ちが盛り上がって。

ご両親はどんな反応を

 父母はどんなときも「自分が思う通りにしなさい」と言ってくれていました。もしもそこで「無理にでも続けなさい」というふうに言われていたら、辞めていたかもしれないですね。結果として好きにさせてもらえていたのが大きかったと思います。

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