• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

矢野 喬子さん(元全日本女子サッカー代表、サッカー指導者)

念願の女子サッカー生活が始まります

 週に3回、木、土、日と、遠くのクラブチームに通うことになって。一人の知り合いもいない土地で初めは心細かったけれど、続けるうちに次第に友達もでき始め、どんどん楽しくなっていきました。

その頃の目標は

 その当時はまだ女子サッカーがメディアに取り上げられるというのは殆どなかったんです。私もチームメートも、日本代表が誰々でどこでどんな国際大会があって……、というような話は見た事も聞いた事もなくて。そんな状況ですから、とにかく目の前の大会に参加してこのチームで勝ちたい、それだけが目標でした。サッカーを将来に繋げていきたいとかそういう気持ちはまったく頭にありませんでしたね。

サッカーでやっていけると感じたのはいつごろ

 大学のとき、なでしこ(サッカー日本女子代表の愛称)に選ばれたんです。そこではじめて、このままプロ選手になれたらいいな、と思った。そして、もしプロになれなくても、必ずサッカーに関わる仕事につこう……、そう思っていました。高校生の頃から自分のサッカーチームを持ちたい、指導者になりたいと夢を描くようになっていたんです。

初の代表選出に心境は

 正直、自分が選ばれるとはまったく思っていなかったのでびっくりしましたね。高校でも何度かアンダー18に選ばれてはいたんですが、結局、レギュラーにはなれなくて。あと一歩の壁がやぶれない—―、自分にそんな限界を感じていたところだったので。

 私の思い描いていた代表選手像は、日々、それを目標に黙々と努力する選手たちの集まりで、自分とは正反対のタイプだったんです。私ももちろん練習はするんですが、どちらかと言うと、努力する姿をあまり人前で見せたくない方で。

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