岡部 三知代さん(学芸員)

 地下鉄東西線東陽町駅の程近く、竹中工務店本店の入り口を潜ると、すぐ右手にギャラリーを見つけることが出来る。『ギャラリーエークワッド』、2005年の開設以来、〈建築・愉しむ〉をコンセプトに地域の振興を目指し、75の企画展を開催、20万人を超える来場者を迎える。初代主任学芸員は、岡部三知代さん。メセナ(芸術・文化振興による社会創造)大賞に輝き、なお居住まいを正すその姿勢の源泉に迫った。

 住空間やクラフトなどの手仕事、身の周りの空間の演出に、岡部さんがはっきりと興味を感じたのは、十代も半ば頃のことだ。通う日本女子大付属高校の教室で、窓外に空間創造のイマジネーションを広げながら、授業はどこか遠く、BGMのように響いている。ただ、そうしてデザインや建築におぼろげな情熱の芽生えを感じながらも、そうといって外の世界に道を探すほどの気概はない。エスカレーターで昇る大学の案内状に目を通しながら、ふとそんなことを考えて、住居学科のテキストを指でなぞった。

 初めて建築に興味を持ったのは、まだ十歳にも満たない幼い頃だった。特に親族や身の回りに建築家やその関係者がいたわけではなかったが、たまたま目にした家の建て替えの様子に、何か不思議な引力を感じた。大学を卒業し、竹中工務店に入社したのは、バブル末期の89年。建築へ夢を描いて飛び込んだが、当時はまだ女性には未開の地だった。同期入社のうち女性はほんの一握り。それも殆どは事務職が担当である。東京の竹中工務店本店には500名の設計部員が在籍する。それが建築、設備、構造の3つの職種に分かれ、そこから更に、医療、オフィス、文化施設などおよそ全体で十種ほどに分岐する。最終的には一つのチームが50名ほどの構成になる。

 岡部さんが配属されたのは文化施設チーム。やはり50名ほどのメンバーの中で女性は二人だけだ。思えば、男社会の現場で、良く泣いていた。20年ほど前のことだ。軽井沢に文京女子学園のセミナーハウスを造るプロジェクトを担当した。まだ未熟で頼りない腕には、重すぎる課題だったが、若さもあり、頑張るぞ、と、目一杯胸を張る。人の手が入らない自然の中に、中庭を取り込み、宿泊施設をぐるりと廻す。講堂、浴室も、自然との和合をテーマに順調にデザイン、設計した。ここはコンクリートのうちっぱなしに、ここには左官壁を配置して……、あらんかぎりのイメージを注ぎ込んだ。

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