谷 正純さん(宝塚歌劇団演出家)

『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』。男装の麗人がステージを華やかに舞い踊る。芝居、ショーのフィナーレ、舞台中央の大階段でパレードが始まると、観衆の声援はひときわ大きさを増す。谷正純さんは宝塚歌劇団の演出・脚本家だ。建築、映画……流転した若き日の夢、終着駅、宝塚で見つけたものは――スペシャリストに訊いた。

 谷さんが幼い時期を過ごしたのは、九州佐賀地方。物心つく頃にはモノづくりが大好きだった少年は、家の周囲に豊かに繁茂する木々をくぐり抜け小枝を拾っては、時間を忘れて木彫り細工を削った。小学生になると、より緻密な組み上げに興味が向き始め、プラモデルに夢中になる。設計図をもとに丁寧にヤスリがけしたパーツを丹念に組み立てる――完成した模型を満足げに見つめる双眸は、いつしか将来の夢に建築家を捉えるようになっていった。小学6年のとき大阪に越した事もあって、大学は大阪の工業大学を選んだ。

 小さい頃からの夢を掴もうと講義を受ける充実の毎日……。だが、時が経つに連れ青年の中で変化が起こる。高校の頃から身のうちに沸き起った映画への傾倒が、どうにも頭の隅にこびりついて離れない。大学3年になり、いよいよ気持ちを抑えきれなくなると、ついになかば勘当同然、家を飛び出した。大学を辞め一路東京へ――。次の年に日大芸術学部映画学科を受験するや、見事に合格。怒る両親に頭を下げると、花の都での新生活を始めたのだった。大学では講義を受ける傍ら映写技師のアルバイトに勤しんだ。先輩らが代々受け継ぐ伝統の職場で、学校で学んだ技術を振るいながら、小窓の向こうのスクリーンに目を向ける。時折余ったフィルムの切れ端を見つけてはポケットにそっと忍ばせニンマリする。大学に戻ればステージからセットまで映画をかたち作るすべてがあった。映画と生活を共にする心地良い毎日が続く。

 しかし夢のような季節もやがて終わりがやってくる。就職活動が始まると、青年は夢の続きを見るため、必死に映画会社の募集を探した。だが、いくら必死に大学の就職掲示板を見つめても募集は一向に見つからない。祈るように東京近郊から地方までくまなく目を光らすと、大先輩『黒澤明』監督もメガホンを握った〈宝塚撮影所〉の文字が目に入る。ここでやれたらいいな――しかしここも募集はない……か。そのとき、ふと隣の『宝塚歌劇団』に視線が止まった。〈演出家募集〉の文字も。ここに入れば、ひょっとして映画にも関われるんじゃないか――目の前に突如現れる宝塚の大階段、その初段を青年の足は静かに踏みしめたのだった。

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