木原 実さん(気象予報士)
俳優、気象予報士・木原実さん。日本テレビ午後の天気コーナーの顔を務めて30年余、世代を越え愛される数少ないタレントの一人だ。幼少期から楽しむ落語、少年期から熱くなった芝居はともに、今も大事にする人生の柱。トレードマークの眼鏡と笑顔、その奥に構える人生の内幕を聞いた。
木原さんが生まれたのは東京、大田区池上本門寺。そこで2歳までを過ごし、父の仕事に牽かれ神奈川の藤沢に越した。以来、少年期のすべてをそこで過ごした。幼い日の原風景は、穏やかな風に草木の揺れる藤沢の片田舎だ。落語愛好家だった父の影響をうけ、小さい頃から大の落語好き。落語番組が始まると、親子二人、茶の間のテレビ画面に釘付けになる。三升家小勝、三遊亭小圓朝……繰り出される昭和の名人たちの名演に熱心に耳を傾ける。
小学校の時分には、休み時間になると決まって教壇に上がり、落語を一席ぶつ。きいちゃんやって、きいちゃんやって。囃す友達を前に、それじゃあ『目黒のさんま』をひとつ――。やがて先生がやってくると、こら、教壇にすわってんじゃない、と頭を軽くはたき、お開きになる。小学校ではお遊戯会も楽しみのひとつ。悲喜劇『ベロ出しチョンマ』では、父の着物を勝手にかり出し、熱心に演じた。高校になると、本格的に舞台演劇の世界に没頭する。将来はこの道に進もう――進学先を探し、大学案内をめくる手をふと止めると、そこには〈日大芸術学部 演劇学科〉の文字があった。
大きな希望を胸にくぐった日芸の門。だが青年はすぐに理想と現実の隔たりに戸惑うことになった。学校が教えるのはあくまで学問としての演劇。講義の時間の多くは、たとえばギリシャ悲劇の解釈研究などに割かれる。これじゃない。自分がやりたいのは実際の芝居だ――。夏休みに入る頃には、血気盛んな仲間を集め、アングラ芝居をうち始めた。しかし、そう簡単には物事は転がりはしないものだ。このままじゃいけない、思い詰めた青年は、藤沢からの通学でなく、大学の側に下宿を借りたいと、両親に相談した。奨学金を利用しアルバイトもするから、そう懇願する息子に親たちもついに許可を出した。