柳家 わさびさん(落語家)

 とはいえここまでの道のりは決して平坦ではない。軽い気持ちで足を踏み入れた落語の世界。しかし待っていたのは、外界との接触を断ち、親をも忘れろ、という厳しいものだった。朝7時に起床するとまず1時間半の掃除。朝ご飯をすませるとまた掃除をする。その最中に落語を憶えるのだが、粗相があれば止められる。午後には寄席に行き、6時間を働く。帰ると食事をし、お湯に入る。ホッとするのも束の間、すぐに師匠の小言が始まる。それらが終わりようやく落語の稽古ができるのだが、すでに深夜。朝起きると、枕元にミミズののたくったような字を書いた紙が散乱している……。「24時間師匠のことを考える」そんな内弟子生活を終え、やっと親に再会できたのは入門から4年6ヶ月後のことだった。

「修業時代は万事を師匠のペースでやらなきゃいけなかった。人のペースで生きるっていうのは本当に楽じゃない。でもそうして制限された生活をしていると、夢が熟成されていくんです。いま若者の多くが夢を持てないと聞く。でもそれってもう叶っちゃってるからだと思うんですよ。自分のペースで生きられている」  東京神保町にある『らくごカフェ』で催される月例勉強会『月刊少年ワサビ』もすでに104号を数えた。添えても、またそれ自身も味わえる「わさび」のように――。奥深い落語人生はこれからも続く。

やなぎや わさび 1980年、東京都生まれ。2003年日本大学芸術学部卒業。同年柳家さん生に入門、前座名「生ねん」。08年二ツ目昇進「わさび」と改名。各地の寄席、落語イベントへの出演のほか、日本テレビ系『笑点』にも定期的に出演中。

(月刊MORGENarchives2017)

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