澤井芳信さん(㈱スポーツバックス社長)
大学は同志社大学に進学した。人生をトータルで見たとき、まだまだ勉強したいことがあること、人としての学び、出会いの場を求めて、というのが進学の大きな理由だ。が、もちろん大学に入ってからも、身体の核は変わらない。しっかりと野球部に身を置くと、3年までに全単位を取得して4年は野球に集中するぞ、そう目標を建て、ひたすらに邁進する。とはいえ、勉強を疎かにすることは決してなく、学部最難度の「産業関係論」では、高得点をマークした。すべては順調に思われた。それでも、ただ一つ、プロになることだけが叶わない。日刊スポーツに自分の名を見つけ、リーグからプロが出るのを横目に、ついに4年間、ドラフトを得ることはなかった。
卒業後は、社会人野球『かずさマジック』に入団、プレーを続ける。社会人野球は、原則、午前は仕事、午後は練習、あるいは試合、という流れだ。それが都市対抗の大会が始まると、朝から野球漬けになる。給料をもらい野球をやるわけだから、当然、シビアな世界だ。ここを新たな戦場に定め、澤井さんは、再び、プロのスカウトを待つことになる。が、待てど暮らせど、遂に天の声がかかることはなかったのである。
〝エージェント″になる
「プロを断念する」、このなにより辛い苦汁を飲み込み、目指したのが、スポーツエージェント(代理人)の道だった。が、これは何も突発的な思いつきではなく、高校のとき、思いがけず目の当たりにしたプロエージェントの残影が心の端に引っかかっていたのである。選手生命に区切りをつけた澤井さんは、会社を辞め、新たにスポーツマネジメント会社に転職を決めた。選手を引退しても会社に残るという選択肢もあったが、そんな気にはなれなかった。そして、この決断が運命を動かしてゆく。メジャーリーグで活躍する上原投手の所属をきっかけに、担当マネージャーとしてアメリカに渡ることになったのだ。新鮮で真新しい空気と文化が身を包み、全身の毛穴が開いていくのを感じる。2年の逗留は瞬く間に過ぎて行った。