研究授業「生きること、死ぬこと、社会的責任を考察する」杉田孝之さん
自己決定の難しさ
「パターナリズム」とは、立場の強い者が弱い者に干渉して不利益を与えることだが、この場合、当然、医師と患者ということになる。ALSは絶望と希望に揺れ続ける病気だから、今まさに絶望に打ちひしがれているときに、医師に背中を押されれば、スルっと奈落の底に滑り落ちるというわけだ。実際、SNSに投稿される林さんの言葉は、その多くが絶望に滲んだが、生きようと意志を示すものも確かにあった。こう考えれば、今回の嘱託殺人も、パターナリズムを巧みに利用して忍び寄った様子がうかがえる。
命の選択――そこに正解は
授業は、これら事件のあらましと、それにまつわる師匠・谷川彰英さんの記事をテーゼに、生きること、死ぬことの意味、その背景、そしてそこから導かれる、生徒一人ひとりの自分らしい人生と社会のビジョンを見据える視野を拓くことを目的に進んだ。まず最初に取り上げたのは、林さん、岡部さんの揺れる心理描写だ。黒板はポジティブとネガティブに2分され、それぞれのカテゴリーはすぐに生徒たちの発言で埋まっていく。生来、活力に溢れる二人の言葉は、ときに痛ましく、ときに命の煌めきを感じさせる。生徒たちを促しながら、教諭は折に触れて、生死の選択をめぐる社会的不自由さとその葛藤を口にした。
パターナリズムや生命技術の商業化が跋扈する現代社会では、必ずしも自己決定は万能ではない。実際、ヨーロッパの一定の国では、「人体は人権の座」を基調に、自己決定に一定の制限をかけているし、安楽死を法制度化するオランダは、厳しい選考基準を敷いている。その根底にあるのが、QOLとSOLの概念だ。QOLとは、Quality of Lifeの略で、生きる上での質の高さ、つまり満足度を表す指標だ。医療技術の発達で、増え続ける延命措置を前提に注目され始めた思想で、しばしば生命の尊厳を絶対視するSOL――Sanctuary of Lifeと対照して語られる。人の死をどう社会が扱うのか、果たしてそこに正解はあるのか……、生きようとする師と、死を選んだ林さんを脳裏に並べ、ときに額に苦悶を浮かべて教諭は話した。