菅谷 昭さん(松本大学 学長)
もうひとつ決断を後押しした理由があって、それは母の残した遺言でした。私を生んだとき、母は易者に「この子は43の年までしか生きられない」と言われたそうです。はじめてそれを聞いたとき、西洋医学に従事する職業柄、もちろん一笑に付したけど、実際、43の年にかかってみると、なんだかそれがつかえて取れない。しまいには本当に死と真剣に向き合うようになり始め、どうせ死ぬなら悔いのない生き方をと思うようになってきた。よく私の行動を指して聖人君子のように言う人もいるけど、渡欧のベースにはこんな話もあるんです(笑い)。
医療の現場で見えたもの
5年あまりの医療支援を終え、胸に残ったのは、日本とチェルノブイリの医療格差でした。現地の酷い環境で治療を受ける子どもたちの姿は本当に痛々しく、どうしようもないほど弱者だった。一方で、日本では子どもから老人まで手厚い治療を受けられる。これはやっぱりどう考えてもおかしいなァと思いました。社会環境はどうあれ、やはり命を護ることにおいては格差はあってはならないんじゃないか。せめて子どもたちくらいは、日本と同じ医療を受けさせてあげるべきなんじゃないか――、と。そういう意味でも向こうに行ったのは改めて正解だったと思います。5年の間には、必要に応じて患者を日本に移送しての治療も定期的に行うこともできたし、それは凄く良かったと……。ただ、あくまで私のしたことは、地球市民として日本村からベラルーシ村へお手伝いに行ったというだけのことで、そんな大それたことじゃないんです。地球市民であればどこにいようとも、幸せに生きてもらいたい、ただそれだけのことなんですよ。
いま若者に伝えたいこと①
日頃、若者に接していると、その多くが自己肯定感が低いように見えます。ちょっと躓いただけですぐに、「自分なんてダメだ……」と俯いてしまう場面を多く目にする。そうじゃなくて、どれだけ失敗してもいいから、どんどん挑戦しなさいよ、と背中を押したい。人それぞれ、やっぱり個性があるわけですから、それを大事にしてしっかり生かしてくださいね、というのはいつも言っていますね。とかく今の世の中は、凝り固まった指標を一つ置いて評価を決めがちだけど、そういうのはいいから、とにかく自分の良い部分を伸ばして活躍するように、と。それとあともう一つ。どれだけ優秀だったとしても、「人の上に立つ」というんじゃなくて、「人を支える」意識を持って欲しいんです。