まとば ゆうさん(ピアノ芸人)

楽譜を手にお笑いの世界へ

 学生時代に終わりを告げる蛍の光が舞い始めると、未来をつかむため、まとばさんはせっせと音楽事務所にデモテープを送った。が、待てど暮らせど一向に返事は来ない。不安と焦燥のなか、それでも気持ちを鎮め心と向き合うと、意外な答えがポロリと落ちる。目立ちたがり屋で人前に立つのが大好きな自分。学生時代にはそのために生徒会にも入った。思えば「お笑い」も大好きだった――。いきおいオーディション雑誌をめくると、そこに掲載される事務所に片っ端からテープを送る。あいうえお順のトップだったそのお笑い事務所から返事がきたのは3日後のことだった。

 「音楽ができるんだったらお笑いなんか簡単だから――」そう言って社長は放埒に笑った。で、人前にも出れるし……、出たいんでしょ人前? だったらすごくいいじゃん――その言葉は、まるで魔法のように、まっすぐ全身に浸透していく。「ピアノ芸人」誕生の瞬間だった。入ってみると、当然だがお笑いの世界は簡単ではない。自分には足りない才能がところ狭しとひしめく海で、まとばさんは必死にピアノにしがみついた。とくに苦労したのが「平場」での立ち振る舞いだ。「平場」とはネタの終わりにみんなで話をする場を言うのだが、かならず芸人ならではの決まりごといわゆる「お約束」のやりとりをしなければならない。それが、どうにも掴めない。

「どうしていいか分からず、結局ワーっと喋っちゃって空気が凍らせてしまうこともあったり……。いまは、「音楽芸人」というのを活用して『気分はクレッシェンド』とか『ゲネラルパウゼになっちゃいましたね』とか言っています。オーケストラでシーンとすることを『ゲネラルパウゼ』って言うんです。そういうふうに音楽用語を織り交ぜるようにしています」

 試行錯誤の向こうに見据えるのは「音楽芸人」というジャンルの構築だ。先駆者に目標とするお笑いタレント・清水ミチコがいるが、そのあと長く空白が続いている。持ちネタの元日本女子サッカー代表・澤穂希の顔真似とピアノの融合も、そんなところにヒントがある。こうして7年の間、研鑽を続けるが、そこは群雄割拠の芸能の世界。そう簡単に芽は出ない。ついに環境を変えたいと一年発起し、フリーの道を決意する。そして昨夏、日本テレビ「女芸人NO.1決定戦」に出場。見事決勝への切符を手にした。決勝の手形は大手プロダクションの名刺に変わり、まとばさんはふたたび選択のときを迫られた。

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