谷 正純さん(宝塚歌劇団演出家)

宝塚歌劇をつくる

『宝塚歌劇団』――阪急電鉄が運営する伝統ある歌劇団は、団員すべてが未婚女性『タカラジェンヌ』で構成される。創設から100年を経た今も、本拠地、兵庫と東京の劇場を中心に、年間1300回もの公演を敷き、200万人超が観劇する国民的娯楽だ。劇場では、歴史劇からSFまで、多彩な演目が日夜上演される。町そのものが舞台装置のような阪急宝塚に降り立ち、華麗な世界に飛び込んだ青年が最初に気付いたのは、それが〝なまの舞台″であることだった。映画のフィルムは編集が利き、取り直しもできるが、走り出した舞台は、ほんの小さなミスも取り返しがつかない。その恐ろしさと面白さ――たちまち宝塚歌劇のとりこになった。宝塚の演出家は原則、脚本も手がける。

 脚本を書くようになると、建設を志したころに学んだ数学の概念が輝きを放った。細かい計算を組み込み、物語の構造をつくっていく。宝塚の舞台は、多くが芝居とショウの2部構成だ。堅い演出の芝居と違い、ショーの構成は、物語にかなりの飛躍を要求される。ストーリーの組み立ては問題ないが、閃きで飛躍させるのは自分には向いていないな――〝自分は芝居作家″そんな自覚も育ち始める。はじめに得意としたジャンルは侍、剣戟の日本物。やはり日本人には日本人の心情が理解しやすい、と、すっかりはまりこんだ。

 それがあるとき、ダンスを得意とする主演者の担当をすることに決まった。宝塚はスターシステム(花形中心のシステム)を採用している。自分の趣味で主演者の良さを消す訳にはいかない――そうしてはじめて洋物を作った。宝塚の脚本、演出は稽古の様子を見ながら調整する。そのため、台本は輪郭を残して細部は緩めに……これも独自のスタイルだ。キャリアを重ねると、次第に視野も広がった。入社前、〝一部の熱烈なファンに囲まれる女の園″と見ていた宝塚歌劇団は、その実、常に脱皮を繰り返し、最先端の舞台に挑んでいた。一員になれて良かった――気付けば自負も生まれる。   

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