林 典子さん(フォトジャーナリスト)

 2013フランス世界報道写真祭ビザ・プール・リマ―ジュ報道写真特集部門「visa d’Or」日本人初の金賞受賞、全米報道写真家協会フォトジャーナリズム大賞の現代社会問題組写真部門1位を獲得。林典子さんは、今、世界が注目するフォトジャーナリストである。その被写体は、〈ニュースにならない人びと〉そして、その暮らし。福島避難地区から、パキスタンのアシッド・アタック(酸攻撃)まで。エネルギーの源泉を聞いた。

「普通の家庭で普通に育った。これといって特徴の無い子供だったと思います」小さい頃を尋ねると、そんな答えが返ってきた。生まれたのは神奈川県。しかし、程なく埼玉、そして東京と、引越しが多かったせいか、その頃の記憶、印象はあまり残っていない。中学、高校時代にはダンス部に所属、ゆったりと時が流れる。バブル崩壊に冷え込む日本を離れ、アメリカのペンシルバニア大学への留学を決めたのも、別段、大きな夢や目標があったわけではなかった。それが、大学で国際関係を専攻し、国際紛争学や平和構築を学ぶと、一変する。ボランティアに赴いた、アフリカのガンビア。カバンの中には、生まれて初めて携えたカメラがある。2週間の研修期間はすぐに終わりを迎えたが、せっかく来たんだから、もっとこの国のことを知りたい、と一人残ることを決めた。そうして、小学校でボランティアをする傍ら、現地の新聞社で働き始める。

 新聞社では、写真を任された。小さな新聞社だからできたこと。アメリカや日本にいたら、絶対にできなかった体験、そう振り返る選択が、人生の岐路になる。休学や余暇を利用し、3ヶ月、次の年にも2ヶ月をガンビアで過ごす。最初からジャーナリストや写真家を目指したわけではなかい。ただ、新聞社で働き、アフリカの大地を踏みしめると、少しずつ、人生の方向性が定まるのを感じる。大学を卒業し、帰国すると、早速、写真活動を始めた。就職活動を行わず帰国したのだから、当然、仕事には簡単には就けない。そこで、アルバイトでお金を貯め、活動費を作っては出かける。そんな生活が2年ほど続いた。

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