田中 将介さん(フリーライター)
今年4月の練馬区長選挙。現職知事が10万票あまりを獲得し、再選を果たした。早くから「対抗馬なし」の声が聞こえ、区長の高齢も相まってか投票率は31%。選挙は閉塞感に包まれたが、明るい材料もあった。史上最年少の25歳で出馬したのはフリーライター・田中将介さん。掲げるスローガンは、「地盤、看板、カバンなし」。少年期にはじめた野球は大学までベンチを温め通し。それでも、ただもくもくと努力を重ねた。理想を追う執念は持ち前のものだ。無謀とも言われた挑戦者魂を聞いた。
政治に向かう契機は
政治そのものというより、もともと社会問題に興味があったんです。大学の入学を目前に控えた初春、18のときです。東日本大震災が起こった。入学式が中止になったこともあって、先輩とふたり、一路、東北へと車を飛ばしたんです。名目は〈ボランティア〉だったけど、そのときなにより心にあったのは、「興味ある現場には常に自分自身で立ち会いたい」という気持ちでした。その後、いったんはメディアの世界に身を投じるのも、そういうジャーナリズムみたいなものが根幹にある。それに火をつけたのが3・11だった。
政治への傾倒はいつごろ
留学から日本に帰ってしばらくしたころ、ジャーナリストの堀潤さんとお会いする機会があったんです。堀さんとは以前から親しくしていたんですが、その席で唐突に「沖縄の選挙いってきたら」と言われた。戸惑いましたね。というのも、正直な話、僕はそれまで一切政治に興味を持ったことがなかったんです。それでとにかく背中を押されて、沖縄に行くんですが、そこではじめて「政治」を見た。「あっ、こういう世界もあるんだナ」と思ったのがはじめですね。でもそのときはまだ、自分が政界に入ろうなどとは夢にも考えていませんでした。
卒業後フリーライターに
まずはメディアに入って修行をと在京大手を受けたものの、ことごとくダメ。それなら自分でやってやろうとはじめました。他の職種を受けようとは一切考えなかったですね。当然親は猛反対で、あとの選挙のときにも言われましたが「無謀だ」のひとこと。それでも、「絶対これで生きて行くんだ」と信念を持って進み、なんとか食べていけるところまで漕ぎ着けた。そういう成功体験があったからこそ、区長選出馬のとき、どんな言葉を浴びても揺るがずにいられたんだと思います。