大島義史さん(サラリーマン冒険家)

 南極旅行の旅費は、当然のように高い。南極基地のツアーで100万以上、目指す南極点へは、1000万以上はかかった。渡航制限もある。その中で、さらに自転車で南極点を目指そうというのだ。ルートは、葛藤の末、南緯89度から南極点を目指す「ラスト・ディグリー」を選んだ。当初は南極基地ユニオン・グレーシャーからの1000キロの旅を考えたが、逗留期間3ヶ月という期間、ラスト・ディグリーの1・5倍にも膨らむ費用から断腸の想いで断念した。いずれにせよ、試走の失敗で、スポンサーへの返金などに奔走し、貯金も底をつくなか、さらに1000万円を超える借金を抱えることになる。それでも、南極へのおもいは募る一方だった。

 南極行きを決めた2011年から欠かさず続けてきた早朝のトレーニング、数々のプレ走行、費用のため、がむしゃらに掛け持ちしてきた仕事……。2013年に娘が生まれてからは、家族サービスも意識してやってきた。失敗を機に、等身大の冒険に重心を置き、装備も大幅に見直した。栄養ドリンクを流し込み、無理矢理に身体を動かしていると、分刻みに組んだスケジュールに、まるで時が止まっているような濃密さを感じる。それは凄まじいストレスだった。それでも大島さんはたんたんと日々を積み重ねる。ゴールが、南極が全てを解放するその日を夢見て――。

サラリーマン南極点へ

 2016年の年明け早々、ついに大島さんの南極点への旅が始まった。傍らには、家族や会社を説得するため雇った世界的冒険家、エリック・ラーセンの姿があった。エリックの後につき、ペダルを漕ぎ出すと、タイヤは今度は確実に雪原をとらえる。道中、慣れない二人旅に、衝突を繰り返したが、冒険家の経験に、何度も危機を救われるうち、自然と信頼関係も生まれた。終わりの地、南極点には、まるで宇宙基地をおもわせる建物が立っていた。「アムンゼン・スコット基地」その少し先に、南緯90度0分0秒を示す、銀色のポールが、南極条約加盟12カ国の旗に囲まれて立っていた。夢と現実の狭間にあるそのポールの先端に、大島さんの手は、ただ静かに触れた。

 サラリーマンをしながら、短い休暇の中でもやりたいことをしたい――そんな気持ちからはじまった自転車の旅。南極は、そのあまりの美しさ、困難さから、象徴として、ずっと大島さんの真ん中にあった。会社、家族との離別の危機も一度や2度ではない。それでも南極に行きたかった。全てを手放さず旅を成り立たせるにはどうすればいいのか……、考え抜き、ついに夢は完遂した。すべては終わったのか……。 いや、大島さんの視線はすでに新しい冒険に注がれている。アメリカ、カリフォルニア州、「デスヴァレー」――地表温度、摂氏50度を超える極地だ。世界で最も熱いその場所を自転車で走れないだろうか……、サラリーマンの有給休暇だけで――。妻のお腹に宿る二人目の我が子をおもいながら、大島さんの青春はこれからも続く。

(月刊MORGENarchives2016)

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