沼口麻子さん(シャークジャーナリスト)
父のマニュアルカメラを手に、少女は一心不乱にシャッターをきった。間近に接する大自然と野生動物たちはあまりに大きく美しい。それからというもの、少女は生き物の中でもとりわけ巨大生物に興味を惹かれるようになる。帰国してほどなく乗馬を始めた。大型生物にアプローチしたい――日本で何ができるかと考えた末だ。大学進学時には馬術を生かした進路をと、馬術部や畜産がある学校を探した。ただ縁がなかったのだろう。進学したのは東海大学海洋学部だった。
海洋学部というくらいだから、クジラや大きな魚に接する機会があるはず……。期待を胸に乗り込んだ静岡県の清水区は、三保湾、駿河湾に面する漁港の街である。寮生は朝、海に入って一時限目にやって来る野性味溢れる学生が多くいた。少し海をちゃんとやろうか――生き生きした彼らの姿に、ふとそんな気持ちがよぎる。1年生で素潜り。2年生でスクーバダイビング。順調に学びながら、水中撮影や観察を重ねた。当時飼育したクマノミ。ディズニーの『ファインディング・ニモ』で一世を風靡した愛らしい観賞魚を、小さい頃から変わらない無邪気な笑顔で見つめていた。
鮫を仕事にする
大学3年生のとき、実習で父島を訪れた。大学の実習船で一週間をかけ父島へ向かい、上陸。5、6時間滞在の後、再び清水へ戻るのだが、そのわずかな上陸時間の合間に潜った一本のダイビングに運命が待っていた。海の中で初めて出会ったサメ『シロワニ』(ネズミザメ目オオワニザメ科)、その圧倒的存在感は、いつまでも心を捕らえて離さなかった。以来すっかりサメに魅せられ、大学院修士課程2年次までの3年間を父島に移り住んでサメの研究に没頭した。そうしてそこで論文を書き大学院を卒業したのだった。いっそここで就職したい、そう願ったが、その頃の父島は新聞やテレビはおろか携帯の電波も届かない僻地。働こうにも仕事が無い。それでも、これだけ没頭したのだから、なにかしらサメの仕事はあるだろう、そう思っていた。
ところが、いざ就職活動を始めると自身と現実世界のズレに気付くことになる。どこを見てもサメの仕事など一つもない。仕方なく戸惑いながらも、師や学友、社会に促されるように合同企業セミナーに通い、会社を受け続けた。活動は実り、いくつかの内定を得る。一つ目はIT企業のプログラムエンジニア。二つ目は沖縄にある水族館のイルカの飼育係だった。これでもうサメとは関われない……。あれこれ考えたが、もう海はやめよう、スッパリと結論を出した。IT企業では8年を過ごした。だが、勤める期間が長くなるほどに、論理的思考を基盤とする作業に苦しみを感じるようになった。ある朝強い目眩を感じ、布団に倒れ込んだ。「ちょっと午前半休します」会社に連絡した。それから一ヶ月半、立ち上がる事が出来なかった。見上げると正方形の天井が照明を中心にグルグルと回り続けていた。