鈴木 勢將さん(INS&カンパニー株式会社代表取締役社長)
大越 親としたら、やはり学校に行かせるしか選択肢はないですね。
鈴木 インターネットも当時はなかったですし、凄い田舎だったので、やっぱり他に選択肢がなかった。その意味でいうと、当時……今もそうなのかもしれませんけど、親自身がどれだけの選択肢を用意できるかというのは、結構大きな問題、要素だと思うんですよね。僕の場合、母が唯一出した決断が、その浦幌町って田舎町から外に出すということだった。
大越 脱出先は全寮制の高校だったとか。そこでは馴染めてたんですか?
鈴木 これがまた凄いところで、今は変わったらしいんですけど、100人が同じスペースに住むんですよ。なにしろ一室に100人ですから、もう相撲の大部屋みたいなものです。そこを出ると階段があってその先に体育館代わりの床が二つある。そこに二段ベッドがブワーっと並んでいて。で、寮生はみんな番号で呼ばれるんです。僕はA一四五番です(笑)。
大越 それはもう本当に少年刑務所みたいですね。
鈴木 最終的には、2年生になるときに4人選べって言われて。自分で4人の仲間を見つけて4人部屋に移行するわけです。で、僕は一応、漏れなかったんですけど、そこでちょっとやっぱり一回挫折して。
大越 やっぱり馴染めなかった?
鈴木 そうですね。その学校は、ほとんどが現役で医学部を受けるんですよ。みんな目標がはっきりしている。で、僕はと言えばそれがなかったんですよね。だからふらふらしてばかりいた。函館に函館競馬場というのがあって、それを見に行ってばかりいました。
大越 親御さんは、当然、大学進学を考えたでしょう。
鈴木 そうですね。僕の場合、一般的な学力不足と違ってやる気がなくて行けないみたいな感じなので、親からするとそれがよく分からないわけなんですよ。何でそんなに行きたくないの? って言うばかりで。でも僕もやっぱりそれはよく分かんないんですね。今振り返っても、何であのときそんなに行きたくなかったのかわからない。別に行っても良かったのではないかと思うんです。ただ当時はやっぱりその為に頑張るってことができなくて。結果2年浪人して。