鈴木 勢將さん(INS&カンパニー株式会社代表取締役社長)

大越 大学進学の行方はどんな結末に?

鈴木 最終的には、センター試験の点数だけで適当に入れる大学があるっていうことが分かって。それで二教科だけで入ったと記憶しています。でもね、それだと結局学校に行かないんですよ。全然行かない。そんなときにちょうど海外からちょうどインターネットが入ってきた。実は僕の20代はインターネット創世期と被っているんです。1995年で「WINDOWS95」っていうのが出て、僕が東京に出たのがちょうどその前の年だった。で、そのときに海外のオンラインゲームも同時に入ってきて。そのうちの一つが「ウルティマオンライン」で、それが非常に僕がやりたかったゲームのイメージに近かったんです。そこからいわゆるゲームオタクになって、21からのめり込み、26ぐらいまで引きこもることになった。

大越 しかし、何となく道は探していたわけですよね。

鈴木 そうですね。探してたら格好良かったんですけど(苦笑)。でもなんか当時、そのゲームを真剣にはやっていましたね。今思い返すと、対象が何であれ、あんなに没頭できたというのは良かったのかもしれません。その当時の仲間の何人かは今でも繋がっています。最近よく「メタバース」っていうのを耳にすると思うんですが、それで言えば、あの当時の「ウルティマオンライン」を超えるようなメタバース空間っていうのは、今もまだできてないんですよ。それぐらいゲームの完成度が高かったし、だから20数年経ってもまだ残っている。それぐらい完成されていたと思います。

大越 そのゲームとの付き合いが後に生かされる。

鈴木 僕にとってラッキーだったのはその「ウルティマオンライン」っていうゲームが、完全にメタバース世界だったということです。パソコンの前に座ると、モニター越しに、すぐもう別の世界がある。これがすごいんです。動かなくても何か仮想空間があって、そこにコミュニティーがあるわけで、そこでコミュニケーションを取ってというのを五年間ずっとやった。で、実は僕、そのゲームの中で結構偉かったんですね(笑)。一時期、日本の中でもそこそこ良い位置にいて。ゲームで重要なのは参加率――アクティブ率で、例えば五人チームだったら五人揃わないと当然弱いですよね。で、そうなると必然、出席率みたいなのを他人に問い始めるわけですよ。そうするとね、実社会ではほとんどゴミ同然な僕がですよ。そのメタバース世界ではやたら暑苦しい奴だったりするんです(笑)。そのギャップが何か自分でもおかしくなってきて。今仕事でやっているのは、実はそのゲームの中で得た経験だったり、知識を会社の事業に落とし込んでいることなんです。自分で動かなくてもスマホやパソコンのモニターを通して海外の人と気楽にコミュニケーションを取れるのは、メタバースの経験があるからで、これが僕にとってすごくラッキーだった。

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