岡村 幸宣さん(学芸員)
それでもやっぱりキツいのは変わらない。3千人くらい来館者が増えたからといって、それで経営が安定するわけじゃないんです。疲弊する職員を横目に、これは持続可能だろうかと悩む日々だった。でも今回のことで、もちろんここに来てもらうのは大事だし基本でもあるんだけど、それだけでもないんだなと。立地の悪さから、年に一度、もしかしたら一生に一度行けるか行けないかの美術館だけど、それでも支えたい、そう思ってくれる人たちの気持ちに答えたい。存在意義の共有の仕方も考えていかなくちゃいけない。これまで目の前の来館者ばかり見てきたけど、それだけじゃいけないんだと気付いた。それには継続的な美術館支援の在り方とか、オンラインを通じての『原爆の図』の語りかけだとかそういう仕組みづくりも必要になる。国境を越えて色々な人たちと繋がっていくことの重要性を痛感して。歴史性と作品の意味が形づくる独立の公共空間、丸木美術館。その方向性が見えた気がしました。
頑なに伝統を守りつつ、一方で挑戦的企画も
それはいつも意識しています。次の世代にバトンを繋ぐには、やっぱり活性化をしなきゃいけない。常に新しい血を循環させることが必要です。で、若い人を呼び込むというのは、〝若者を伝統で縛る″というのではいけない。彼らが来たときに、やりたいことをキチンと出来る環境を整えておく。毛色が違うからといって締め出さない。そう心がけている。それが結果として新しいものに挑戦してるように見えるのかもしれませんね。それだから、こちら側から仕掛けるというより、ここを活かしたい人が来たときに、ちゃんと支えられるような枠組みづくりが大事と考えている。というのも、長く続くとどうしてもしがらみが増えてくるんです。伝統は必ず形骸化してしまうので、それだけは絶対避けたいと思ってやっています。丸木夫妻も新しいことをやりながら『原爆の図』を作ってきた。凄く挑戦する人たちだった。だから、守りつつ挑戦するというか――。挑戦することを受け継いでいきたいとは強く思ってますね。
『原爆の図』を通して若者に伝えたいことは
中高生にとって原爆って物凄い遠い過去だと思うんですよ。自分が体験してない過去という意味では、それこそ江戸時代と変わらないぐらいの話で。本当に遠い出来事だと思うんですね。だから自分には関係ない、そう思う人も当然いる。じゃあ、なぜ今、中高生に『原爆の図』の前に立って欲しいのかというと、〝被爆者の体験を聞く″〝過去を知る″っていうのは、僕は究極的には今を生きる力に繋げることだと思うんです。それは自分が生きる力でもあり、周りの人たちが生きる力でもある。戦争だけが暴力ではないですからね。いつの時代も争いや苦しみはなくならない。比べるのはおかしいけれど、戦争のない今だって昔と変わらないぐらい苦しい暴力に直面している子がいるかもしれない。外目には分からなくても、内面的には戦争状態の子がきっといると思うんですね。だから自殺率が凄く高い。人に命を奪われるのも自ら命を絶つのも同じくらい辛いことだと思うので。
そういう時代の中で、この絵が出来ることはあるんじゃないか――。この絵にあるのは75年前の戦争だけれども、いつの時代の人が見ても、自分と同じ命が描かれた絵という共感は持てると思うんです。この絵は被爆体験の継承であり、同時に、時代を超えて命を考える装置です。絵を前に生きるというのはどういうことなのかをそれぞれが考える。結論は一つじゃなくていいんです。みんなそれぞれ命が違って、違う命をそれぞれ大事にする。そんなことを絵から受け止める。多分、丸木夫妻もそういうことを願っていたと思うので。疫病で学生が訪れるには難しい状況で今後の見通しも立たないけど、なんとかそういう機会を作っていければと思っています。
おかむら ゆきのり 1974年東京都生まれ。2016年に著作「《原爆の図》全国巡回」で平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。今年3月に『未来へ―原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌 2011-2016』(新宿書房)を刊行。
(月刊MORGENarchives2020)