牛窪 多喜雄さん(柔道家、市議会議員)

 リハビリには丁度いいーー、あれだけ得意とした柔道だ、軽い気持ちで再会した。それが全く勝てない。相手が技をかけるタイミングがつかめない、見えないのだ、どうにもならない。気持ちが爆発する。悔しい……、するとあれほど悩みの種だった、社会との摩擦が嘘のように頭から消えている。心が解放されると、次の日からはランニングを始める。自宅の周辺は当時、電源開発でどこも白いラインが張ってある。牛窪さんの目にもその白い線だけはどうにか茫洋とした光の中に捉える事が出来たのだ。走り込みで鍛えた下半身、簡単に投げられなくなると、釣り手、引き手のコツも見えてくる。

 折もおりソウルパラリンピックで柔道が正式種目に。俺が金メダルを獲るんだ! 白いラインに導かれ人生は輝きを取り戻し始める。参加した5輪では金メダル以外にも多くを得た。衝撃だったのは障碍者と健常者の垣根の高さだ。接骨院に併設したバリアフリー柔道場はその克服の一助を担う。議員を4期務め、人前での発言も増えるが、批判を恐れず、常に自分が本当だと思う事を話す。それが地域の、日本のためになる、そう信じる。9年後爆発的に増える高齢者に必要なケアマネージャーは百万人と言われる。すべての人が介護施設を利用するのは現実的ではない。在宅で余生を送るのに何が必要か――真剣に向き合う眼差しは誰よりもはっきりと未来を捉えている。

うしくぼ たきお 1950年、埼玉県川越市生まれ。国士舘大学在学中に視力を失う。74年、川越市に鍼灸接骨院を開業。88年ソウルパラリンピックで金メダル、92年バルセロナパラリンピックで銅メダルを獲得。現在7段。91年にバリアフリー道場を開設。また99年より市議会議員を務める。

(月刊MORGENarchives2016)

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