高田 知己さん(弁護士)

 弁護士・高田知己さん。弁護士過疎地の茨城県土浦市で、地域を支える町弁護士だ。ひとつひとつの案件を丁寧に受け止め、適切に解決法を提示するその姿勢は、多くの人生に光明を与える。だが、高田さんが最初に奮い立たせた人生は、あるいは自分自身だったかもしれない。若き日、事故で失った下肢の自由、そこから始まった車椅子の轍の軌跡……、夢を掴んだ原動力を訪ねた。

 高田さんが生まれたのは茨城県東海村。高度経済成長期、日本初の原子力に活気づく村は、東に太平洋を臨む美しい浜辺を有している。まだCPUゲームの少ない時代、幼年期の多くを自然のなかで過ごした。小学校高学年になると天体観測に興味を持った。当時、子どもたちの間で流行したこの遊びに、少年は強い引力を感じ、惹かれた。

 水戸の中学に進んでからも、気持ちはしばらく残ったが、中、高と進み、天体研究の進路を調べるうち、その世界の狭さに違和感を憶え、やがてそれは霧散する。高校から登場した物理など、にわかに難しくなる理系に、辟易したことも一因だった。高校のころ、とにかく身体を動かすのが好きだった。青年は、よく遊び、そしてよく働いた。ゴルフのキャディー、ゲームセンターの管理事務……、このころのアルバイトで得た社会経験は、現在につながる貴重なものとなっている。そして、人生を、運命を変えたあの事故の夜も、そんな日常のなかのただのひとつ……、ひとつの夜のはずだった。

 76年に一度、ハレー彗星は地球に接近する――世紀の大イベントを控えた昭和61年春、高校を卒業した青年は、大学進学のため、早々に予備校を決めると、勉強、アルバイト、遊びの三者共立の毎日を送っていた。その日は、水戸にほど近い港から、夜半、フェリーで出航する、ハレー彗星観測ツアーの手伝いの仕事が入っていた。準備のため、昼にはバイクにまたがり、給油を済ませると、ハンドルを県道179号線に向ける……、それが事故の前、最後の記憶となった。次の瞬間、瞼には漆黒がどこまでも広がっていた……。

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