• 十代の地図帳
  • 各界の著名人の十代の道程にその道に入る心構えやヒントを見る

上田 岳弘さん(作家)

そこからずっと一筋に

 結構、影響を受けやすい方なんで、途中、色々のモノに目移りはしました。弁護士のドラマを見れば「弁護士になろう」と胸を膨らませる。医者のドラマが流行れば「医者もいいナ」と宙を見上げる……。でも、最終的に残ったのはやっぱり小説家だった。

当時、好きな作家は

 その頃はファンタジー小説に夢中で、ページを追う手を急き立て物語を追った。そんなある日、姉がどこからともなく仕入れた一冊の本に目が留まった。それが「村上春樹」だったんです。そこから、また新たな読書の地平が拓けていった。村上さんの本は、よく「難解」と言われるけど、文章自体は平易なので、読むのは全然苦痛じゃなかった。中学生の僕に、それがどれだけ理解できていたかは分からないけど、とにかく全身で向き合った。そうするうち、どんどん純文学に傾倒していった。

その頃の一番の思い出は

 今でもそうなんですが、僕はすごく散歩好きで。とにかく色んなところを歩くんですよ。「総合選抜」という高校受験が除外されたような地域だったこともあって、僕には長いモラトリアムがあった。中、高、大……、なにしろ浪人時代を除いたすべてが膨大なモラトリアムだった。当時の日本人の中でも随分長い猶予を貰った方だと思う。その分、特に中・高生時代にはたっぷりと思索にふけりながら散歩を繰り返した。そのとき考えていたことは、本当に茫洋で、愚にもつかないようなことで。でも、その長大な猶予期間が一番印象に残っていますね。

大学は早稲田の法学部に

 本当は、作家を目指していましたから、当然、文学部に行きたいわけです。ところが、放任主義一辺倒だった両親が、ここにきて突然反対した。「文学部に行きたい」という僕に、「文学がやりたいなら自分で出来るでしょ」と言うんです。「小説を書きたいなら、自分で好きに書けばいい。大学には実学を学びに行け」そんな言い分でしたね。

大学生活はどんな風に

 大学時代はいわゆる「ダメな私大生」という感じで。あまり学校にはいかず、バイトにばかり明け暮れていました。周りもそういうのが多かったし、またそういうのが割と許される時代、環境だったと思います。その頃は、まだあまり作家になることに真面目じゃなかったというか……、本は読んでいたけれど、日々の生活に追われる感覚の方が強かったですね。そうして、3年が過ぎ、4年がやってきて――僕は留年しているから厳密には違うけど――就職が迫るのを肌で感じ出すと、漸く、「作家になるならそろそろ本気で読もう」と、本に向かった。

関連記事一覧