上田 岳弘さん(作家)
結果が出ず不安な時期は
元々、あんまり不安を感じる方じゃないんです。それに、営業のバイトをしていたとき、「あっ、こうすればお金を稼げるんだ」と実感していたので。最悪、どこかの会社に入って働けば食べていけるだろう、と思っていました。
ご両親は心配などは
なにしろ4人目なんで。上の兄弟にも色々あるわけですから、今更心配してもしょうがない、と思っていたかもしれませんね。ともあれ、もちろん心配はしていただろうし、今もしているんじゃないかな。ただ、僕が東京に出るときも、むしろ、行って欲しいと言った二人ですからね。元々、両親自身が若いとき東京に出たがった。それを祖父母は許さなかった。関西までしか許可しなかったらしいんです。だからせめて、子どもたちには自由にさせたい、それがうちの親の放任主義に繋がってるという話です。
すごく勇気のいる教育です
父母は、両親の束縛を受けながら、本当は自由を望んでいた。同じ思いを子どもたちにさせたくはない。祖母、祖父母が行った「心配に起因する束縛」を自分たちはすまい、と。自分たちが心配をしようがどうしようが、子どもたちには、とにかく自由にさせる。それでダメでも自己責任、だと。もちろん親として最低限のカバーはするけど、そんなことよりも、とにかく自由にさせたい、そう思ったんだと思います。そういう意味では、僕ら兄弟は、いわゆる「過保護」な育ち方をしていないんです。幼い頃、一時は、習い事を沢山している子が羨ましい時期もありましたが、今は感謝しかないですね。
作家になることについては
卒業を控え、とりあえず就職をと思い立ち、となれば就活だな、と、両親に「リクルートスーツを買うから3万円くれないか」と無心して驚きました。「それはお前、3万やるのは構わないが、普通の会社に就職してほしくないな」と言うんです。無事に大学も出て、普通の親なら、後は早く就職を、というところです。それを「普通に働いて欲しくない」というんですからね。母は更に言葉を重ね、「あんた弁護士かなんかになる、とか言ってなかったっけ」。思えば大学受験のときもそうでした。僕のいた関西には4校の私大の雄があって、それぞれの頭の漢字1字を取って、『関関同立』と呼ばれていました。受験勉強に手ごたえを掴み始めた頃、「『関関同立』に入れれば良いよね」と何気なく母に言葉を投げると、「あんた早稲田か京大に行くんじゃなかったっけ」。言われて僕は思わず「あっそうだっけ」と机に向かいなおしました。それで気付くと志望校を変えていて……。
兼業作家をされています。1日のルーティンは
時間的には7・3くらいの割合で会社の仕事が多いですね。朝起きて2時間ばかり作家の仕事をして、その後会社に行きます。原稿の直しには土日を使う。行動原理としては、あんまり自己決定せずに、やらざるをえない状況が出来上がるのを眺めているといった感じですね。