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中村 太地さん(将棋棋士)

故米長永世名人に弟子入りをされます

 ふつう、将棋の弟子入りは、通う道場の師範やそこにいるプロ棋士にそのまま――というかたち、あるいは地方出身であれば、同じ地方出身の棋士に弟子入りするというのが多いんです。その点、僕と師匠の米長にはなんの繫がりもない。ただ両親が米長ファンで、著書を読んでいたり、メディアで見かけるたび、もし入れるなら米長門下がいいよね、というようなことを言っていて。ダメもとで手紙を出してみると、「面接をする」と返事がきた。それで、面接を受け、入門となった。

どんな面接を

 うちの師匠は変わっていて、条件はひとつ「素直なこと」。これは、素直なほうがいろんなことをしっかり吸収できるとか、そんな意味合いだと思います。ただ本当はそれより重要なことがあって、母親を見るんですよ。子どもがふだん、一番長く過ごすのが母親だ。その母親がしっかりした人であれば、子どもも大丈夫だろう――そんな考え方ですが、その点、うちの母親は良かったというか(笑い)。幸いにも師匠のお眼鏡に叶って。

どんな修行時代を

 昔なら住み込みとかもあったと思いますが、僕が入門したときにはもう全然そんな感じじゃなくて。月に一回、師匠のところに通い、指導を受けるんだけど、それも直接師匠と将棋を指すわけじゃない。僕が対戦した棋譜を見て講評を受けるというかたちだった。そのときに将棋を見てもらい、ふだんどんな勉強をしているかと聞かれる。それでまたアドバイスをもらって、という感じだった。師匠はいつも「兄はバカだから東大に行った。俺は頭がいいから棋士になった」なんて話をして(笑い)。そういうなにかキャッチーなことを言うのが得意な人で。だから刺激的で楽しかったですね。とはいえもちろん、年はすごく離れていたし、メディアで見る気さくさとはまた別の、重々しい威厳もある。ちょっと恐ろしさも感じるくらいで、目なんかまったく合わせられなかった。いま30近くなって、もし師匠が生きていたら、あのころとは違った関係性があったのかも、と思うと、早世はやはり残念ですね。

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