中村 憲剛さん(元プロサッカー選手)
先輩の中には澤穂希さんがいて
そうなんです。なにしろ2学年上なんで当時、そんなに話したりはなかったんだけど、プレーを目にすることは度々あって。凄い上手くて速い選手いるなァ……、と思って見ていたらそれが澤さんだった。まだ女子サッカーの裾野が広がる前で、チームに女子は一人きりだったのもあって、その頃は女子はみんなこんなに上手いのかと思っていました。蓋を開けたら、後に世界を取った澤さんが特別だったわけなんですけどね。
その頃の学業事情は
勉強は好きでしたね。それに勉強しないで点数が悪いというのが何か嫌だったんです。高い点数を取りたいとかそういうわけじゃないんですけど、何事もどうせやるならキチンとやりたいという性分なんですね。学校も、せっかく通うんだからと寝ずに授業を受けていました。どんなにサッカーで疲れてもしっかりと勉強をするというのが自分の中のバランスで重要なことだったんですね。結局それを大学まで続けるわけですが、振り返ると、結局そういう勉強で身に着いた思考力や集中力などがサッカーにもちゃんと生きていて……。なので、自分の子どもたちにも、勉強しっかりやらないとサッカーやらせないよと指導しているんです。
大学は中央大学英文科に入学しますね
今は英語を小学校から習いますが、僕の頃は中学校からで。で、最初の中間テストで百点を取ったんです。凄く入りが良かったというかー。なにしろ大抵の子がそこで初めて英語に触れるのでみんな横一線なわけです。そんな中で百点を取れたので、一気に、これは自分の得意科目だ、という気分になった。それで、気を良くすると高校時代も含めずっと良い点数を取り続け、いざ大学受験となったときも、他の学部よりは、英語を活かしたものにしたいと英文科を選んだ。要は一人で勝手に自分は英語が得意だと盛り上がっていたわけですが、その決断が大学でかなりの挫折を味わう原因になるわけですが…。というのも、英文科クラスは、外国人の先生が最初から最後まで90分間フルで英語しか使わない授業がいくつかあって、最初の授業の時に衝撃を受けたんです。自分が出来ると思っていたのは、「教科書英語」だったというのに気付いたときは愕然として。ときすでに遅しでしたが、もう本当にカルチャーショックでしたね。オレ、卒業できないかもしんないって軽く絶望して(笑い)。でも、不思議なもので授業を受けるたびに耳が慣れていって、最後の方は普通に聞き取れてました。そういう意味では「教科書英語」でベースは作られていたのかなと思います。