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中村 敦夫さん(俳優)

 そのうちにアメリカの国務省が奨学金を作った。アジア太平洋圏の小さな国々も含め、多彩なジャンルの若者をハワイ大学に集めてアメリカの教育を受けさせるというんです。そこには演劇コースもあって、誰か行ってみないか、となった。当時、外国に行くなんてのは夢のまた夢でね。ハワイでは見たこともないような白い綺麗な建物に案内され、部屋にはそれぞれシャワーがついている。日本の学生寮なんか3畳一間に布団を敷いて足の踏み場もなかったから、これはエライ違いだ。そこに見たことも聞いたこともないような様々の人種が集まってる。我々がビックリするような考え方、宗教を持ってるわけですよ。それでどうしたかといえば、僕の中で国際化が起きちゃった。そこで差別や人権が血肉化されたんです。

『線量計が鳴る』のきっかけは

 そもそも、一度事故が起きればもう取り返しはつかない原発をなんでまだやってるんだということです。帰れなくなった人はみんな難民ですよ。かつて、国、企業、マスコミ一丸になって、「原発安全神話」の一大キャンペーンをはった。その結果こんなことになったのに、全部なかったことにしてオリンピックなんかやろうとしてる。「原発は安全だ」と言えなくなったら今度は「放射能は安全だ」とまで言い始めた。事故のあと、もう190人の子どもたちが甲状腺がんになっている。150人は手術もしてるんです。これはドンドン増えていくんだよ。そしたらそれはもう検査をするな、という話になってきた。検査をするから増えるんだ、と。こんなバカな話はないんだけど、そんなことがまかり通る。なんでそうなるかといえば、エネルギーが独占事業だからです。そこを中心に利権が巨魁をなしている。「原発ムラ」ですよ。そこには「戦犯」がいる。世に出る虚実ごちゃ混ぜの情報を、整理して分かりやすく伝えているのが『線量計が鳴る』なんですよ。

なかむら あつお 1940年、東京都生まれ。1958年東京外国語大学入学。1963年俳優座入団。1972年、主演テレビ時代劇「木枯らし紋次郎」が空前のブームとなる。1984年、テレビ情報番組「地球発22時」のキャスターに起用される。1998年、参議院選挙に立候補し当選。「公共事業チェック議員の会」会長、環境委員などを歴任。政界引退後は文筆、講演、朗読劇など活動の幅を広げる。現在、日本ペンクラブ理事、環境委員。

(撮影:編集部)

(月刊MORGENarchives2018)

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