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依田 司さん(気象予報士)

理系好きも後押しを

 そうですね。空や雲の図鑑も持ってたし、昆虫も大好きだった。あと植物も好きで……、そういう意味ではやっぱり典型的ですよね。一軒家だったうちの庭には、色んな植物が植わっていた。それを丹念に図鑑と見比べて覚える。それを学校で先生の前なんかで言うと、感心されて、「植物博士」とか呼ばれたり……。空も雲も昆虫も好きでよく覚えました。そういう子どもでしたね。

進路と夢はどう交差を

 気象予報士になるにはどうしたらいい、とか、そういうのは誰も教えてくれないし、僕も誰にも話さなかった。だから、中学高校はごく普通の進路でしたね。夢と進路を意識したのは大学受験のとき。どういうところに行けばお天気の勉強をできるのかと、ひとり調べはじめた。ところが、いざ探してみると、お天気を勉強できる学部ってあまりないんですよ。「天気」は地球物理学なので、そういうのをやってるところとなると、筑波大の上位学部や、それこそ東大しかない。そんなところに入るような勉強はしていないから、それ以外でどこかないかと大学案内の端まで目を光らせると、東海大学に海洋学部というのがあって、そこでもお天気を勉強できることが分かった。それでもう、受験はそこしか受けなかったですね。

海洋学部ではどんな学びを

 僕が行ったのは、海洋学部の海洋工学科というところで、そこでは、海洋だけでなく、大気と結び付けた学びを多くしていた。例えば、4年次には、エルニーニョ現象の研究をしました。ほかにも、「航海実習」みたいなのがあって。静岡の清水に校舎があったんですが、清水港から種子島まで空や海の観測をしながら一週間かけて往復するんです。大学所有の2隻に学部生200人くらいが乗り込み、波に揺られて海原を渡る。船が大きく揺れると、やっぱりみんなゲロゲロと吐いちゃうんだけど、それはそれで楽しかったですね。船は結構大きな観測船で、それでハワイにも行ったりしました。

大学時代もやはり気象予報士を目指して

 そうですね。ただ、僕が大学のときはまだ『気象予報士』という職業はなかったんですよ。そのころは、お天気がやりたかったら気象庁に行くか、民間の気象会社に行くかの2択だった。気象庁の方は、ハナから無理と諦めていたので、僕の興味は専ら民間の気象会社でした。加えて、そのころもう一つ大きな目標があって、それが「大会社に入る」というものだった。が、当然、お天気の夢も捨てきれない。調べると、当時、NECが気象衛星『ひまわり』の雲画像のシステムや、『アメダス』のシステムを手掛けていた。それを見て、「この仕事ならできるんじゃないか」と受けた。

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